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525. 教員に部活交通費なし [32.部活動指導]

 1月31日、共同通信が「23府県、教員に部活交通費なし 公立高校の土日引率、法令足かせ」との記事を配信した。

 公立高の部活動に携わる教員の実態について共同通信が全国の都道府県教育委員会を対象に調査したところ、土日の練習試合で生徒を引率した教員に交通費(旅費)を支給していない自治体が23府県に上ることが31日、分かった。部活による時間外勤務を認めていない国の法令を不支給の根拠とする回答が相次いだ。土日返上で指導する教員の実態と、法令との隔たりが浮き彫りとなった。
 教員の長時間勤務が社会問題となる中、識者らは「国は法令を見直し学校の実情を反映した制度に改めるべきだ」と指摘。部活も含め教員の働き方改革を進めている文部科学省は法令見直しを「検討する」としている。

 記事には「土日の部活の練習試合を引率した教員に交通費を支給しているか」を都道府県別に色分けした日本地図が掲載されている。都道府県教育委員会の回答を取りまとめたもので、「支給していない」とするのは、青森、秋田、山形、宮城、山梨、静岡、富山、石川、岐阜、三重、滋賀、大阪、岡山、山口、鳥取、島根、香川、福岡、長崎、大分、熊本、宮崎鹿児島の23府県で、その他の都道府県は「支給する仕組みがある」となっている。
 新聞記事は更に続く。

 部活の練習試合は土日に多く、遠征することもある。法令は部活による土日の認めておらず、部活は教員の自発的な活動と整理されている。23府県に不支給の理由を複数回答で尋ねると、法令を踏まえ13府県が「時間外勤務が認められていないため」、11府県が「自発的な活動のため」として、いずれも「引率を出張と見なしていない」と答えた。
 残る24都道府県は「支給する仕組みがある」と回答。うち20都道県は「生徒の安全を確保する責任がある」「部活は学校教育の一環」などとして「引率を出張とみなおして支給する」としている。
 文科省は学校数など地域ごとに事情が異なり、支給かどうかは「自治体が判断すること」と説明している。

 部活動の引率旅費の支給にかかわって都道府県で対応が分かれているのは知っていたが、概ね半々の状況となっているとは知らなかった。
 改めてこのノートで書くまでもないことだが、教員の時間外勤務は、超勤4項目を除き命じられない制度となっており、部活動の指導業務については、超勤4項目に該当しないことから、教員の職務と勤務態様の特殊性に基づき実際に行われた場合には、自主的・自発的な勤務と理解されている。
 一方、教員が週休日等において部活動指導業務に従事した場合において、その業務が心身に著しい負担を与えると人事委員会が認める程度に及ぶときには、特殊勤務手当が支給されることとなっており、部活動指導業務への従事は給与制度上の「勤務」であると理解されている。また、教員が部活動の引率指導中に負傷した場合には、地方公務員災害補償法に基づき、公務災害と認定されるのが通例である。さらに、教員の部活動指導中の不法行為により生徒が負傷した場合には、国家賠償法が適用されることが判例上確立しており、同法にいう「公権力の行使に当る公務員が、その職務を行う」ものと評価されている。
 こうしたことも踏まえ、文部科学省は、学校の管理下において行われる部活動の指導業務については、校長から顧問を命じられた教員の職務=公務であると理解している。ただし、正規の勤務時間外における部活動指導hの従事時間は、労基法上の労お堂時間ではない、としているが…。

 ところで、旅費については、地方自治法第204条で「普通地方公共団体は、普通地方公共団体の…常勤の職員…に対し、…旅費を支給しなければならない」と規定し、旅費の額及びその支給方法は、条例で定めなければならない」としている。
 国家公務員の旅費に関する法律はその第1条において、「この法律は、公務のため旅行する国家公務員等に対し支給する旅費に関し諸般の基準を定め、公務の円滑な運営に資するとともに国費の適正な支出を図ることを目的とする」としている。各都道府県の職員の旅費に関する条例も、同様の目的規定を設けていると思う。
 そうなると、教員の部活動の引率指導業務についても「公務」である限りは、その円滑な運営に資するために同条例が適用され、「公務」のため旅行した教員に対して実費弁償としての性格を有する旅費が支給されなければならない。
 特殊な勤務に従事したことから特殊勤務手当という給与を支給しておきながら、一方で公務に伴う実費弁償としての旅費を支給しないというは、どう考えても矛盾であるとしか言いようがない。

 この点に関して、共同通信が報道した23府県のうち、13府県が「時間外勤務が認められていないため」、11府県が「自発的な活動のため」として、いずれも「引率を出張と見なしていない」と答えたとのことだが、どうだろう。
 仕事に伴って発生した費用を会社が負担するのは当たり前のことではないのか。職務の遂行に必要な経費を労働者が立て替えた場合、使用者にその弁償を請求できるのは当然ではないのか。もちろん、労働条件の明示や就業規則で労働者に一定の自己負担を義務づけることは法律違反ではないのかもしれない。しかしながら、「公務」の遂行のために必要となる費用を職員本人に負担させる法令を観たことがない。

 なお、いささか形式的解釈にすぎるが、旅費法(条例)では、「旅行命令」を行うのであって「公務」それ自体を命じたかどうかは問題にしていない。旅費法では、「出張」について「職員が公務のため一時その在勤官署(略)を離れて旅行(略)することをいう」と定義している。(第2条第1項第6号に規定する「出張」の定義では、公務と旅行とを分けている。)つまり、勤務時間外における生徒の引率指導という公務は、給特法の規定に従い命じてはいないが、公務のため一時在勤する学校を離れて旅行することは、旅費条例に基づき命じる手続きを取っているたけであるので、旅行命令を行ったからといって、それが給特法違反とまで評価することはできないのではないか。いずれにしても、これは屁理屈に思える。

 縷々述べたが、これらの論点にかかわっては、元文部官僚の糟谷正彦氏も、超勤4項目以外の業務であっても、教員特殊業務手当の支給対象となるものについては、教員の職務として旅行命令を出せると解釈するのが妥当であるとの見解を示している。(「校長・教頭のための学校の人事管理」)



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524. 部活動の地域移行 [32.部活動指導]

 令和3年1月22日発行の『内外教育』の「教育法規あらかると」に加茂川幸夫氏の「部活動の地域移行」と題したコラムが掲載されている。小見出しには「部活指導を希望する教員への手当」とあり、がぜん興味が湧く。
 前半は、2021年度予算案に盛り込まれた事業の紹介や、これまでの経緯が簡潔に述べられている。中段の最後の行以降の文章を読んで、「おや?」と思ってしまった。

 ただ、関係予算の確保はもとより、検討すべき課題は少なくない。特に、教員の服務関係では、兼職・兼業の在り方や処遇も課題となる。部活動指導には、特殊業務手当として部活動指導手当が支給されているが、きわめて不十分で、その性格も不明確。このような状況を見直せるのが、教育公務員特例法17条で認められる給与を受けての兼職・兼業。教育委員会が許可すれば、給与を受けながら、当該業務に従事できる。これまでも、教職調整額の対象とならない補習授業の謝礼金支払いも、教委が認めることにより可能とされている。(12年5月9日初等中等教育局長通知。)
 休日指導を教員が希望する場合、トータルの多忙さは変わらないかもしれないが、少なくとも、これまでサービス残業だった部活動指導を有給の兼職・兼業に改めることができる。この場合、本務に支障がないよう、許可の要件や処遇面でのガイドラインを示すことが望ましい。

 コラムの性格の故か、紙幅の制限によるものかはわからないが、きわめて荒っぽい説明だなと感じる。いくつも疑問が湧いてくる。例えば、部活動指導手当について「きわめて不十分で、その性格も不明確」としているが、不十分とは業務の負担や働きに見合った額ではないことを指摘しているのだろうが、昭和30年代の教員の超勤訴訟問題の解決策として教職調整額と特殊勤務手当の二本建てにより処遇するという整理になったのではなかったのか。「教育委員会が許可すれば、給与を受けながら、当該業務に従事できる」と書かれているが、正規の勤務時間内の部活動指導も対象に考えているのだろうか。休日の部活動指導について「これまでサービス残業だった」と述べるが、部活動指導手当の支給を評価していないし、どう理解すればよいのか…。一読した限りでは、法制度を踏まえた記述とは思えないし、元文部科学省の官僚だった方が「サービス残業」と言い切っていることに違和感を持つ。

 「サービス残業」が気になったので、もう一度『教育職員の給与特別措置法解説』(宮地茂監修、文部省初等中等教育局内教員給与研究科編著。第一法規。昭和46年)を読んでみる。

(2)教職調整額を四%とした根拠
①教職調整額が四%とされたのは、人事院の意見申出にあるとおりの率とされたからであるが、人事院の意見において四%とされたのは、文部省が昭和四一年度に行った教員の勤務状況調査の結果による超過勤務手当相当分の俸給に対する比率約四%という数字を尊重したからであるということである。
②文部省調査結果の四%の率は、次のような計算によって算定されたものである。
ア 八月を除く一一カ月の平均超過勤務時間は次のとおりである。
  小学校 二時間三六分
  中学校 四時間三分
イ 右の時間から、次のような時間を差引きまたは相殺減する。
(ア) 服務時間外に報酬を受けて補習を行っていた時間を差引く。
(イ) 服務時間外まで勤務する業務がある一方において、服務時間内において社会教育関係団体等の学校関係団体の仕事に従事した時間等があるが、今後においては、個々の教員についての校務分掌および勤務時間の適正な割り振りを行なう等の措置により、各教員の勤務の均衡を図る必要がある。右の調査結果は、教員自身の申告に基づくものであるが、これを、職務の緊急性を考慮し、超過勤務命令をかけるという観点から見直しをしてみ、これら社会教育関係活動等の服務時間内の勤務時間は、服務時間外の勤務時間から相殺減することとした。
ウ 右の結果、次の時間が今後における一週間の服務時間外勤務時間数と想定することができる。
  小学校 一時間二〇分
  中学校 二時間三〇分
  平 均 一時間四八分
エ 以上の結果に基づく一週平均の超過勤務時間が年間四四週(年間五二週から、夏休み四週、年末年始二週、学年末始二週の計八週を除外)にわたって行なわれた場合の超過勤務手当に要する金額が、超過勤務手当算定の基礎となる給与に対し、約四%にそうお党したものである。
 なお、高等学校についても同様の算定を行うと、差引控除後の超過勤務時間数は、全日制三八分、定時制〇分となり、小中学校に比して少なくなっている。
オ 以上のようにして算定された教職調整額は、諸手当へはねかえることにされているため、実質的には、約六%の手当措置に相当するものであり、その額が決して低いものではないことは、次の答弁からもうかがえるように人事院も自信を持っているところである。(110~112頁)

 昭和42年の教員の勤務状況ちょうさについては、別の個所でも説明がある。

 二 昭和四一年の教職員勤務状況調査
 一で述べた経緯により、昭和四一年四月三日から昭和四二年四月一日までの一年間にわたり、教職員の勤務状況の調査が行われた。この調査は、教職員の勤務状況を、条例・規則等の規定に基づいて割り振られた毎日の勤務開始時刻から勤務終了時刻までのいわゆる服務時間内に仕事をした状況と、校長の超過勤務命令のいかんにかかわらず、服務時間外に仕事をした状況とを調査したものである。このうち、本調査の主目的である服務時間外の勤務状況は次に述べる方法によって調査している。
(1) 服務時間外の勤務でも学校敷地内における勤務は、原則として調査対象としたが、自主研修、付随関連活動(関係団体活動等)および宿日直勤務については調査対象としなかった。
(2) 服務時間外の学校敷地外における勤務のうち、修学旅行、遠足、林間・臨海学校、対外試合引率、命令研修、事務出張にかかるものについては調査対象とし、次の方法で時間計算した。
(ア) これらの勤務が宿泊を伴わない場合
当該勤務の開始時刻から終了までの時間から、服務時間を差し引いて計算した。
(イ) これらの勤務が宿泊を伴う場合
「平日の勤務」…服務時間外の勤務はないものとして計算した。(出張の場合には通常の場合、超過勤務はないものとする考え方と同じ。)
     「日曜日の勤務」…平日の服務時間に相当する時間の勤務に限り調査したが、当該勤務時間は、服務時間外の勤務として計算した。
     「土曜日の所定の勤務終了時刻以降の勤務」…平日の服務時間から土曜日の所定の服務時間を差し引いた時間内の勤務に限り、当該勤務時間を服務時間外の勤務として計算した。
この調査の調査対象数と、調査の結果は、二四、二五頁の表のとおりであった。(表、省略)(23~26頁)

 これらの記述を読んでいくと、服務時間外の部活動指導は、超過勤務時間数として計算されているように読めるのだが、積極的な記述がないので、よくわからない。そこで、巻末に調査結果の概要が収録されているので、確認してみる。

 まず、「8月を除く11か月の平均超過勤務時間」どうかというと、年間平均では小学校は2時間30分、中学校は3時間56分となっている。これを12倍した時間から8月の超過勤務時間として小学校1時間16分、中学校2時間29分を差し引いた後11か月の平均を計算すると、本文の記述どおり、小学校は2時間36分、中学校は4時間3分となった。

 ここから本文に記載に従って対象外の時間を差し引きあるいは相殺減してみたい。
まず、「服務時間外に報酬を受けて補習を行っていた時間」を差引こととしたいが、一覧表では「補習・クラブ等指導」とまとめられていて、切り分けができない。記述を読んでいくと、小学校ではゼロ、中学校でのわずかな時間であることがわかったので、とりあえず、影響がごく小さい者としてここでは計算しない。
 次に、「社会教育関係活動等の服務時間内の勤務時間」を服務時間外の勤務時間から相殺減する計算をしたいのだが、Ⅳ付随関連活動のB社会教育関係活動の服務時間内の勤務時間を見ると、小学校は4分、中学校は5分であり、これだけでは本文に記載の「今後における1週間の服務時間外勤務時間数」には遠く及ばない。そこで、本文の記述では「等」の文字が使用されており、文章全体から考えるとA関係団体活動も含むと思われる。このA関係団体活動とは、「PTA活動(事務を含む)。校長会・教頭会・教科連絡協議会等のメンバーとしての活動」と説明されている。ちなみに、「校長の承認による研修会・研究会」は「承認研修」の中に含まれており、カウントされていない。そこで、Ⅳ付随関連活動の全体を相殺減の対象とすると、小学校は8月を除くと30分(年平均31分)、中学校は27分(年平均28分)となる。この時間数を控除すると、小学校は2時間6分、中学校は3時間36分となるが、本文記載の小学校1時間20分、中学校2時間30分にはそれぞれ46分、1時間6分届かない。
 どうかんがえても、これら以外の勤務時間が控除されていると考えるほかない。

 そこで、教員の勤務種類別の時間数を示した調査結果の表を眺めていくと、Ⅰ指導活動の中の項目に気になるものが2つある。
 一つは、C研修のうち「3自主研修」の服務時間内の時間で、小学校30分、中学校34分が含む時間外の時間から相殺減されてはいないか。
 二つは、A直接指導活動・2課外指導のうち「補習・クラブ等指導」の含む時間外の時間で、小学校9分、中学校56分が差し引かれてはいないか。補習はほぼゼロで、ここでいうクラブ活動は「正課のクラブ活動の時間を超えて行うものの指導等」と説明されている。「等」とあるが、これは、授業に組み込まれない臨界・臨海学校等である。
 ここで計算をしたいのだが、残念ながら月別の時間数が示されていないので、正確な計算ができない。8月を除いた11か月の平均を計算すると年間平均の数値から少し動くと思われるが、計算のしようがない。
 しかたがないので、年間平均の数字をそのまま控除してみる。まず、自主研修の時間を相殺減すると、小学校は1時間36分、中学校は3時間2分となる。小学校はあと16分だが、中学校はあと32分差し引かないと合わない。更にクラブ活動等を差し引くと、小学校は1時間27分でほぼ一致する。中学校は2時間6分となって24分引きすぎとなる。しかし、クラブ活動等を差し引かないと、ほかに引く時間がない。夏休みは中間に練習を終えると考えれば時間外は少なくてすむとも考えられるので、やはりクラブ活動の超勤時間を差し引いていると考えてよいのではないだろうか。

 ここでようやく1月22日発行の『内外教育』のコラムに戻る。
 「これまでサービス残業だった部活動指導」と述べているのは、昭和41年の教員の勤務状況調査の結果、服務時間外勤務時間からクラブ活動の指導時間が差し引かれたことを、つまり、教職調整額4%の基礎とされた超過勤務時間に算入されていないということを承知の上でのことなのだろうか。もしそうだとするならば、このノートで考察した結果を裏付けることになるのだが。
 ということは、つまり、部活動指導に関しては、教職調整額と特殊勤務手当の二本建てで処遇されはいないということ、言い換えると、本給が支給されていないにもかかわらず、特殊勤務手当だけが支給されているのだ。ということは、最低賃金にも満たない額で「きわめて不十分」であり、「その性格も不明確」とのコラムの主張は、首肯できることになる。
 一読した段階ではなんとなく違和感を覚えたのだが、改めて教員の給与制度の経緯を確認していくと、部活動指導の処遇に関する中途半端な構造が鮮明になり、「荒っぽい」と感じたコラムの筆者の主張も理解できるのである。



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523. 特殊勤務手当改正の要点 [49.「人事院月報」拾い読み]

 人事院月報第105号(昭和34年11月1日発行)に「特殊勤務手当改正の要点」が収録されている。

 昭和34年10月5日に政府職員の特殊勤務手当に関する政令の一部を改正する政令(昭和34年政令第317号)が公布され、あわせて昭和34年人事院指令9-218(昭和28年人事院指令9-72(政府職員の特殊勤務手当の支給について)が発出され、政府職員の特殊勤務手当の一部が改正された。おもな改正点は、大学院研究科担当手当、多学年学級担当手当、海員学校実習授業手当、航空交通管制手当、駐留軍関係業務手当および死体処理作業手当の新設、危険作業手当の支給範囲の拡大ならびに隔遠地所在官署に勤務する職員の特殊勤務手当の手当額の改定である。(22頁)

 多学年学級担当手当をはじめ、教員関係の手当新設などが多い感じがする。早速、一部を抜粋してみたい。

   多学年学級担当手当
 2以上の学年の児童または生徒で編制する学級(以下「多学年学級」という)における授業等を行なつている国立の小学校または中学校の教諭、助教諭または講師(以下「国の教員」という)は、1学年の児童または生徒で編制する学級で従業等を行なつている国の教員に比較して、勤労の度が強く、精神的肉体的労苦も大きい。一方、地方公務員たる教員には、単級小学校、複式学級手当等の名称をもつた給与措置がとられており、以上の諸点を勘案して、国の教員にも、手当が支給できるよう制度化した。
1 手当の内容
(1) 対象作業:多学年学級における授業または指導(政令第52条)
(2) 対象職員:国立の小学校または中学校に勤務する教諭、助教諭および講師。ただし次の者は除かれる。(政令第52条、指令第6項)
(イ) 俸給の調整額を受ける者
(ロ) 多学年学級における担当授業時間数/担当授業時間数<1/2の者
(ハ) 多学年学級における担当授業時間数が1週間につき12時間に満たない者
2 手当額
 勤務1日につき次に掲げる額(政令第53条、指令第7項)
(イ) 小学校の第1学年から第6学年までの児童または中学校の第1学年から第3学年までの生徒で編制されている学級における授業または指導に従事したとき 48円
(ロ) 多学年学級のうち前号に掲げる学級以外の学級における授業または指導に従事したとき 36円
3 実施期日
 昭和34年9月1日から適用(政令附則第2項)

 そうか! 多学年学級担当手当は、地方が先行していたのか!



 次に出てくる海員学校実習授業手当は、運輸省海員学校において船舶に関する科目の実習授業または実習を伴う授業を担当している教員を対象とする特殊勤務手当として新設されたようである。説明を読み進めると、「また文部省所管の産業教育手当を支給されている学校との関係もあつて、優秀な教員の確保に支障をきたしているので、手当が支給できるよう制度化した。」とある。なあるほど…。手当額は、授業1時間につき25円。

 また、隔遠地手当についても記述があり、へき地手当との関係が述べられている。

 隔遠地に勤務する職員の困難性を考慮し、あわせて教職員のへき地手当との均衡をはかるため、隔遠地手当の支給割合の最高限度を引き上げるとともに、手当額の算出の基礎に扶養手当の月額を加えることとした。
1 手当額
 隔遠地手当の月額は、俸給の月額と扶養手当の月額との合計額の100分の25以内(政令第95条)
2 実施時期
 昭和34年4月1日から適用(政令附則第2項)


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522. 6・3ベースと年末年始の休日の攻防 [49.「人事院月報」拾い読み]

 新型コロナウイルスの猛威がやまない。それどころか、感染者はますます増加する中で2021年を迎えた。今、人類はコロナ禍に耐えている。きっとコロナ禍を乗り越え、楽しく明るい世界がやってくることを信じたい。

 さて、今回は人事院月報第100号(昭和34年6月1日発行)の座談会「人事院の思い出あれこれ」から、給与制度にかかわる話題を取り上げたい。座談会の出席者は、佐藤朝生前人事院事務総長(現在=当時、総理府総務副長官)、粕谷孝夫元人事院広報局長(現在=当時、ウルグアイ国駐さつ特命全権公使)、兼子宙元人事院能率局長(現在=当時、早稲田大学教授)、慶徳庄意前人事院管理局長(現在=当時、酪農振興基金常任幹事)の4人である。

   6・3ベースの勧告

 佐藤 6,307円の給与ベースの勧告をしたのは23年の11月9日でしたね。それをまた12月にやつたんですね。
 兼子 始めは臨時人事委員会のとき出して、次に公務員法の改正によつて、人事院として再び勧告したわけです。
 佐藤 そうでしたね。12月のなかばに給与法が国会を通過しその直後に国会を解散した。内容はどうでしたかね。8月に行つた第1回職種別民間給与調査に基づいてやつたんですね。
 粕谷 司令部のほうで計算してきたのかな。(笑)
 慶徳 この勧告の内容について非常に重大な点といいますと、今でこそ、給与水準の決定の方式が、民間賃金とのバランス、最低生活の保障とか、一般に理解されていますが、そのような考え方を始めて導入したということですね。
 兼子 マーケット・バスケット。マ・バ方式というやつだ。
 慶徳 買物袋。(笑)また、それまでは、観念的には考えられていたけれども、公務員の給与が、正規の勤務時間に対する勤労の代価であるという考え方も、あのときに始めて導入されたと思います。さらに、給与関係業務の合理化というような点から、給与の総体的な調整をはかるところを人事院としました。したがつて、人事院規則を制定しうることとなり、給与関係が二元的になつた。人事院と新給与実施本部と。
 佐藤 そうですね。内容はだんだん合理化してきているけれども、方式なり考え方の根本は、そういつた歴史をたどつていますね。
 慶徳 この勧告にからんで、実施面のことについてふれますと、特殊勤務手当や超過勤務手当やいろいろ問題にはなりましたが、とくに大蔵省と折衝して、いまだに思い出として残つておりますのは、年末年始の休暇は法律違反だといわれたことです。
 佐藤 あつた。あつた。
 慶徳 それは国民の祝日に関する法律が出ましたのでそれ以外のものは認められない、とこうきたんです。ところが、こちらでは太政官達でもつて、古いけれども有効なんだということでした。毎日むこうさんから呼ばれて、すつたもんだやつて結局ほおかぶりしてしまつたわけです。
 そういつたいきさつがあつて、あれは正規の勤務時間の中にはいつているのです。そのために、あの日に出勤しても、休日給は出ないということになつております。(11頁~12頁)

 この6・3ベースについて、『公務員給与法精義(全訂版)』(学陽書房)の記述を確認しておこう。

 1 六、三〇七円ベースの実施と俸給の再計算
 新給与実施法による一五級制の発足後間もない昭和二十三年六月に、その後の情勢の変化によりいわゆる三、七九一円ベースが実施されたが、これは俸給の水準の一律三割増と扶養手当の増額を内容とするものであり、制度的には別段の変更を加えるものではなかった。また、次いで同年十二月、人事院の第一回の給与勧告に基づく六、三〇七円ベースが行われることとなり、同年法律第二百六十五号により必要な改正が加えられたが、この改正も同ベースの実施のための改正が主体とされ、付随的には国家公務員法との関係等を考慮しての規定の改正、整備を図る趣旨のものであった。
 ところが注目すべきは、右の六、三〇七円ベースの実施と関係して、「俸給の再計算」ということが行われたことである。すなわち前述の十五級制の発足に伴う新俸給への切替えの措置がやや拙速的であったとこや、当時における労働情勢等とも関係して、各省庁の中には当該切替えおよびその後の昇給、昇格等の取扱いにおいて、公認された取扱い以上の取扱いを行った例がかなり存していた。このため六、三〇七円ベースによる新俸給額への切替えに当たってこのような不当な措置をいっさい排除させるとの方針がとられることとなり、職員の昭和二十三年十二月一日現在の俸給月額については、「改正前のこの法律並びにこれに基づく政令及び規則の規定に従い再計算せらるべきものとする。」こととされたわけである。そしてこの措置は、当時かなり話題をにぎわし、かつ、相当な波紋を残したが、それはそれとして、とかく混乱を伴いがちであった新俸給制度への移行も、これによって実質面からの再点検を終えたかたちとなり、ようやく新制度も軌道にのることとなった。

 2 人事院の関与と新給与実施本部の廃止
 新給与実施法による給与制度の実施を最初につかさどっていたのは、新給与実施本部である。この新給与実施本部は、同法の完全な実施を確保するための期間として同法の規定により設けられ、本部長は内閣官房長官、次長は大蔵省給与局長、部員は各省庁の給与事務担当者をもって充てられていた。ところが昭和二十三年十二月に人事院が設けられることとなり、さらに昭和二十四年十二月には給与行政一元化の趣旨から新給与実施本部は廃止されて、同本部の業務は全面的に人事院に吸収統合された。(46頁~47頁)

 続いて、「休日給」の沿革について引用しておきたい。

〔趣旨および沿革〕
(略)
 本条は、昭和六十年法律第九十七号による給与法の一部改正によって、第十四条の二として新たに職員の休日に関する規定が設けられたことに伴い、所要の改正が行われたものであるが、この改正前の本条の規定は次のとおりであった。
〇旧第十七条
(休日給)
第十七条 職員には、正規の勤務日が休日に当たつても、正規の給与を支給する。
2 休日において、正規の勤務時間中に勤務することを命ぜられた職員には、正規の勤務時間中に勤務した全時間に対して、勤務一時間につき、第十九条に規定する勤務一時間当たりの給与額の百分の百二十五を休日給として支給する。年末年始等で人事院規則で定める日において勤務した職員についても、同様とする。
3 前二項において「休日」とは、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日(第十四条第四項又は第五項の規定に基づき日曜日以外の日を勤務を要しない日と定められている職員にあつては、当該休日が勤務を要しない日に当たるときは、人事院規則で定める日)をいう。
 すなわち、前章でも述べたように、昭和二十四年一月一日前においては、給与上の取扱いとして国民の祝日と日曜日(週休日)とはともに休日として取り扱われ、したがって旧大十七条に相当する規定も存していなかった。ところが、昭和二十三年法律第二百六十五号による新給与実施法の一部改正によって、新たに職員の勤務時間に関する規定が整備されるに及んで、「勤務を要する日」、「勤務を要しない日」の区別が確立され、国民の祝日(休日)は勤務を要する日ではあるが休日とされるかたちのものとなったので、これとの関係で旧第十七条に相当する規定が設けられ、以後それが給与法に引き継がれてきたものである。つまり旧第十七条は、国民の祝日に関する法律に規定する休日が、職員の勤務時間に関する規定(給与法第十四条)上は、原則として勤務を要する日とされることとの関係において位置づけられてきたものであるが、前述の昭和六十年法律第九十七号による給与法の一部改正によって、国民の祝日に関する法律に規定する休日に加え、従来のいわゆる年末年始の休暇日についても、新たに給与法上において休日として位置づけ、ともに「特に勤務することを命ぜられている職員を除き、正規の勤務時間においても勤務を要しない」(第十四条の二)こととされたことに伴い、これに対応して現行の本条のように改正され、さらにあわせて必要な規定の整備が行われたものである。
 なお、旧第十七条第一項は、国民の祝日に関する法律に規定する休日に関していわゆるノーワーク・ノーペイの原則の特例を定めていた規定で、休日の特殊性に着目し給与法第十五条に規定する給与の減額の適用を排除していたものであったが、昭和六十年法律第九十七号による改正に際して、給与法第十五条に移し替えが行われている。
 また、旧第十七条第二項は、第一項との均衡において休日に特別に勤務した職員に対する割増給与の支給について定めているとともに、休日に準ずる日としての年末年始等で人事院規則で定める日に勤務した職員に対して、同様の取扱いとする旨を定めていた規定である。そしてこれらの規定中、第一項の規定と第二項前段の規定とは旧第十七条の制定当初より設けられていたのであるが、第二項後段の規定は昭和三十九年法律第百七十四号による給与法の一部改正によって追加された規定である。すなわち第二項後段にいう「年末年始等で人事院規則で定める日」とは、具体的には主として年末年始の休暇日等を指すが、従前はこのような日に勤務した職員に対しては、それがたまたま休暇が与えられないことの結果としての勤務にすぎないとして、第二項に規定する割増給与の支給ということは行われていなかった。しかしながら、休日と休暇日という形式上の差はあるにしても、大部分の職員に休暇が与えられ、実態として休日と大差のないこれらの日に特別に勤務する職員に愛して、なんらかの給与上の措置も行われないことは均衡上問題があり、その合理的解決を希望する意見が少なくなかった。ことに近年における社会生活の変化とも関係して、年末年始等に特別に勤務することが職員にとって一種の負担感を負わせるようになってからはそうであり、このために人事院の昭和三十九年の給与勧告においてこの点を改善すべき旨が取り上げられ、結果として同年の給与法の改正の際に、第二項後段の規定が設けられるに至ったという経緯が存している。(496頁~499頁)

 『公務員給与法精義』には、年末年始の休日を巡る人事院と大蔵省との攻防の記述はない。


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521. 中学校非常勤講師に未払い残業代を支払い [8.トピック]

 中日新聞が11月4日に、次のように報じた。

中学校非常勤講師に未払い支給へ 名古屋市教委、申告5講師の残業代
2020年11月14日 05時00分 (11月14日 05時01分更新)

名古屋市立中学校の非常勤講師四人が市教委に残業代の支払いを求めて労働基準監督署に申告し、市教委と各勤務校が是正勧告を受けた問題で、市教委は、中学校長に勤務時間を申告した別の非常勤講師一人を加えた計五人に対し、計約百三十万円の未払い賃金があると認め、支払うと決めた。小中学校の非常勤講師に未払い賃金が支払われるのは全国的にも珍しい。 (福沢英里)
 同市の小、中、特別支援学校で働く非常勤講師は約千四百人。同様に未払い賃金があれば影響は大きいとみられるが、今回の五人以外への対応について市教委は「申し出がないため、調査はしない」としている。
 五人の未払い賃金の対象は昨年四月〜今年三月。各校の校長が十月までに本人に聞き取りをし、勤務記録などを調査。市教委は授業準備やテストの作問、提出物の点検などを「業務命令による勤務」と認め「各校で適切な勤務時間管理ができていなかった」とした。二カ月以内に支払う予定。
 四人は「規定の授業以外の授業準備など業務分の給与が支払われていない」と主張し、昨年十一月、名古屋南、東、西の各労基署に申告。労基署は今年二〜三月、市教委と各校に是正勧告書と指導票を交付した。仕事の...
https://www.chunichi.co.jp/article/153998

 続いて、東海テレビのネット記事

正規の教員には支給なく異例の決定…非常勤講師5人に未払いの残業代計130万円支払いへ 名古屋市教委
2020年11月14日 土曜 午後1:26

名古屋市教育員会は、市立中学校の非常勤講師5人に対し、未払いだった残業代合わせておよそ130万円の支払いを決めました。
 市教委によりますと、名古屋市立中学校の非常勤講師4人は去年11月、所定の勤務時間を超えて授業準備などをした分の給与の支払いを求めて労働基準監督署に申告し、市教委と各学校が是正勧告を受けていました。
 市教委は、校長に勤務時間の申告をした別の非常勤講師1人も加えて聞き取り調査などを行い、昨年度の残業代合わせておよそ130万円の支払いを決め、11月12日に労基署に報告しました。
 正規の教員は特別措置法で残業代が支給されず、同様に教壇に立つ非常勤講師に残業代を支払うのは異例だということです。
 市教委は5人の非常勤講師に対し、できるだけ速やかに支給するほか、他の非常勤講師からも申告があれば調査するとしています。
 また労基署からの指導を受け、各学校では現在勤務時間の実態を把握するための確認簿を作成しています。
https://www.fnn.jp/articles/-/107642

 この問題はこれからも起こりうるように思う。しかし、取り上げた記事の残業代は、会計年度任用職員制度が導入される以前のものであり、令和2年4月以降は非常勤講師は一般職の位置づけとなって労働基準監督署の守備範囲ではなくなる。さて、各県の人事委員会は厳しく対応するのだろうか。



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520. 教員新型コロナ業務手当 [8.トピック]

 「教員 コロナ 手当」で年と検索をすると、京都市教育委員会が教員に対してこんな手当を支給する方針を明らかにしたことを報じる京都新聞のネット記事に出くわした。

コロナ感染者が出て長時間勤務…教員に手当を支給 京都市教委、制度創設後初めて適用
2020年11月11日 19:55

 京都市教育委員会は11日、市立学校・幼稚園で新型コロナウイルス感染者が出て保護者対応などで長時間勤務が生じた教員に、手当を支給する方針を明らかにした。市内では児童生徒や教員の感染が相次いでおり、校長会が要望していた。
 市教委によると、手当の対象となる業務は保護者への連絡や疫学調査への協力など。管理職を含む教員が所定の勤務時間に加え4時間程度以上業務に当たった場合、1日当たり3750円が支給される。休日出勤など8時間程度以上の場合は同7500円。
 来週中にも方針について全校・園に通知する予定。その後、対象者には6月以降の業務にさかのぼって支給する。
 教員は教職員給与特別措置法(給特法)に基づき本給の4%に相当する教職員調整額が一律で支給されているため、時間外手当はない。そのため今回のコロナ禍の対応業務は「特に疲労度や困難度の加わる勤務、その他特異な勤務」に支給される「特異性手当」として、制度の創設後初めて適用することを決めた。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/410583

 教職調整額が支給される教員にもに支給される教員特殊業務手当で柔軟に対応しようという話かと思ったが、記事を読んでいくと最後の方に「今回のコロナ禍の対応業務は「特に疲労度や困難度の加わる勤務、その他特異な勤務」に支給される「特異性手当」として、制度の創設後初めて適用する」とある。うん?「特異性手当」とは、いったいどんな手当なのか…。京都市の例規集で確認してみた。

○京都市教職員の給与,勤務時間等に関する条例(平成28年条例第37号)
(特殊勤務手当)
第16条 特殊勤務手当の種類及び額は,別表第5のとおりとする。
2 特殊勤務手当は,月1回又は3月に1回,別に定める日に支給するものとする。
3 前2項に定めるもののほか,特殊勤務手当について必要な事項は,別に定める。
別表第5(第16条関係)
特殊勤務手当の種類及び額
 (表は省略)

 この別表第5(特殊勤務手当の種類及び額)の1番目の項目に「特異性手当」が掲げられ、教員特殊業務手当は2番目の項目として掲げられている。「特異性手当」の支給要件及び額については次のとおり書かれている。

「特に疲労度又は困難度の加わる勤務その他特異な勤務に従事した教職員に対して,給料月額の100分の20以内において支給することができる。」

 う~む。何だこの手当は?支給対象者も業務の特殊性を示す具体的な業務内容も明示されず、余りに漠然としており、支給額も「給料月額の100分の20以内」となっている。まるで給料の調整額にかかわる規定を見るようである。
 この規定を根拠にして、教員特殊業務手当のような手当を支給しようと考えているらしい。しかし、ということは、今回のコロナ禍で長時間にわたる時間外勤務や休日勤務をせざるを得ないときには、教員特殊業務手当では対応できないと京都市教委は判断したということなのだろう。新聞記事によれば、京都市教委が想定している対象業務は「保護者への連絡や疫学調査への協力など」とされているから、教員特殊業務手当の対象業務である「児童生徒の保護業務」や「児童生徒の救急業務」などではなかなか読み難いということなのだろうか。(阪神淡路大震災の際に柔軟に解釈した例もあるが…)
 それに、教員特殊業務手当は日中8時間程度であり、4時間程度でも支給する点も考慮したということだろうか。
 経験したことのない精神的にも負担を強いられる状況下で業務に従事しなければならない教員にとっては朗報ではないかと思うが、いずれにしても、おそらく全国に例のないような文字通り「特異」な手当の感じではある。



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519. 俸給表改定のボーダーライン [8.トピック]

 今年の人事院勧告は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を考慮し、10月7日にボーナスのみ先行して行われ、一昨日(10月28日)月例給についての報告があった。
 ボーナスについての勧告は、民間との均衡を図るため支給割合を4.50月分から4.45月分に引き下げる内容であったのだが、月例給については「改定なし」との報告に留まった。人事院の報告によると、民間給与との較差は▲164円・▲0.04%で、「民間給与との較差が極めて小さく、俸給表及び諸手当の適切な改定が困難であることから、月例給の改定を行わない。」としている。

 ちなみに、人事院の資料から俸給表改定の勧告を行わなかった年の較差を見てみる。

 平成16年 39円 0.01%
 平成18年 18円 0.00%
 平成20年 136円 0.04%
 平成24年 ▲273円 ▲0.07%
 平成25年 76円 0.02%

 更に見ていくと、平成13年の較差は313円・0.08%で俸給表の改定は勧告されなかったが、特例一時金を創設して3,756円(313年×12月)の範囲内で支給するよう勧告している。令和元年は較差387円・0.09%で、この年は給料表改定の勧告が行われた。
俸給月額は100円刻みなのだから何とかなるのでは、と思うが、行一以外の俸給表を含めてすべての俸給表の改定をうまく実施するためには、どうも技術的な制約があるらしい。そのボーダーラインは、較差320円から380円辺りのようである。


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518. 退職年金制度改正と退職手当 [49.「人事院月報」拾い読み]

 昭和34年6月1日発行の人事院月報は、記念すべき第100号である。本号には、記念論文集や座談会も掲載されており、それはそれで面白いのだが、今回は「公務員退職年金制度改正の概要」の記事に注目したい。

 第31国会で成立し、5月15日公布された国家公務員共済組合法等の一部を改正する法律(昭和34年法律第163号)により、明治17年太政官達第1号「官吏恩給令」に始まる文官の恩給制度は終りを告げ、新たに共済組合制度による公務員年金制度がきたる10月1日から全面的に発足することとなつた。
 ここまでに至る経緯を簡単にふり返つてみると、周知のごとく昭和28年11月17日に人事院は国家公務員法の規定に基づいて、官吏雇傭人を統一する国家管掌による公務員年金制度を内容とする研究成果を国会および内閣に提出しあわせてそれが法律として制定されるよう意見の申出を行つている。これを契機として、昭和31年7月1日から公共企業体職員についてほぼこれと水準を同じくする年金制度が共済制度によつて始められることとなり、郵政職員についても同様の動きが議員提出法案としてあらわれ、審議未了とはなつたが、政府としても早急の措置が必要となつた。しかし公務員年金制度を共済制度とするか国家管掌制度とするかについて政府部内の意見が一致せず、昭和33年3月14日閣議において、五現業職員については共済制度によることとし、非現業雇傭人はこれと調整をはかる意味で暫定的に共済制度により、非現業恩給公務員については別途至急検討するものと裁断された。かくして、国家公務員共済組合法(昭和33年法律第128号)により、昭和34年1月1日から非現業恩給公務員を除く国家公務員に新制度が適用されることとなつたが、その後残された非現業恩給公務員についても国家公務員法に基づく退職年金制度としての共済制度によることに政府部内の意見の一致をみ、国家公務員法の改正とともに今回の改正となつたものである。国家公務員法の改正においては、相当年限忠実に勤務して退職した公務員に退職年金が与えられなければならないことなどが規定されるとともに、退職年金制度について人事院が意見の申出をすることができることを定めている。公務員にとつて、きわめて重要な国家公務員共済組合法のこの改正につき、以下簡単に説明する。
 順序として、最初に、改正の主要点について。
 第1に、新制度は、官吏、雇傭人を通じての統一的な年金制度である。
 第2は、給付原因たる事故の範囲が広く、かつ、給付内容が改善された。
 第3は、掛金が高くなる。(これに相当する分が退職手当として増額されることとなると説明されている。)
 第4は、社会保険との均衡を考慮して、給付に最低保障制をおいた。
 第5は、多額所得停止制度が廃止され、若年停止制度に代えて減額退職年金制度を採用し、退職年金の支給開始年齢を55歳に延長した。以下、………(第100号18頁)

 そうだったのか。掛金が高くなる分が退職手当として増額されることになったのか。この年、例えば、勤続年数の短い自己都合退職者の退職手当が倍増したことなど、大幅に増額されたことは知っていたのだが、共済組合の掛金の増額と引き換えだったのだ。
 「参考までに新旧退職手当の支給率表を示すと次のとおりである」として、最後に退職手当支給率新旧比較表が掲載されている。一部抜粋する。(同号23頁)

1 普通退職
 1年以上10年以下の期間1年につき 60% → 100%
 11年以上20年以下の期間1年につき 65% → 110%
 21年以上 (略)
 (旧)勤続5年以下の者は右の率の50%、勤続6年以上10年以下の者は右の率の75%とする。
 (新)自己都合(傷病の場合を除く。)により退職した勤続5年以下の者は右の率の60%、勤続6年以上10年以下の者は右の率の75%とする。

 ちなみに、『公務員の退職手当法詳解』(第4次改訂版、平成18年)に退職手当の沿革や改正の経緯が載っているが、「掛金が高くなる分が退職手当として増額される」こととなったことまでは言及されていないようである。


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517. 文官任用制度の歴史Ⅲ(続き) [49.「人事院月報」拾い読み]

 「文官任用制度の歴史〔Ⅲ〕」の続き。

(5)戦時立法
 昭和15年10月東条内閣となり、同年12月8日太平洋戦争が開始されてからは、官庁機構と定員は益々膨張した。同時に軍人の勢力が行政官庁内部に伸びたことも当然であつた。ことに情報局情報官、企画院調査官(昭18.11.1以降は軍需省軍需官となる。)等には現役の軍人が盛んに任用されて威勢を振い、当時の文官にとつての苦しい思い出となつている。また、軍需産業界などの民間人で軍需省等の官職に送り込まれ、産業の指導、統制、連絡等にあたつた者もあつた。これらの任用はいずれも、勅任文官については前述の文官任用令の改正の結果として、また、奏任文官については単独の特別任用令(昭12、勅611。昭15、勅855。昭16、勅718等)により行われたのである。
 東条内閣は機構の膨張に対して、昭和17・8年度に行政整理を行つて一応官の定員を減少した。しかし、定員の減少は職員の昇任を困難にした。このため、昭和18年3月「各庁職員優遇令」(勅137)を発し、「重要ノ職ニ当リ功績顕著ナル」奏任文官を定員外で勅任とし、同じく判任文官を定員外で奏任とする途を開いたので、定員の制度は乱れた。
 戦争がたけなわになると召集、従軍等により外地でも内地でも官吏が多数死亡したり負傷したりした。昭和19年1月に「各庁職員危篤又ハ退官ノ際ニ於ケル任用等ノ特例」(勅5)を発して、これらの者を定員や任用資格にかかわりなく昇任させる途を開いた。職員を戦争目的に駆り立てる報償手段のにおいが強い立法であつた。
 この時期には学生も例外なく勤労奉仕に動員され、または召集されて高等試験の続行が不可能となつた。………(第97号11頁)

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516. 文官任用制度の歴史Ⅲ [49.「人事院月報」拾い読み]

 「文官任用制度の歴史」は2回で終わりではなく、人事院月報第97号(1959年3月号に続きの〔Ⅲ〕が掲載されていた。例によって、適宜抜粋する。

  Ⅴ 昭和初頭から終戦までの任用制度の変遷

 (1) 政党勢力の影響
 大正の末から昭和のはじめにかけては政党勢力の最盛期であつた。ことに昭和2年6月に憲政会と政友本党とが合同して立憲民政党が生まれてからは、政友会、民政党の2大政党が対立し、両党の総裁が交互に首相として政権を握つた。政党勢力の官庁内部への浸透の様子については、前回にも触れたとおりであるが、そのための手段として活用されたのが、文官分限令第11条第1項第4号の「官庁事務ノ都合ニ依リ必要ナルトキ」は休職をじることができるという規定であつた。この規定によつて、政府与党になじまぬ官吏を休職にしたのである。休職を命じられた者は休職期間が満了すると当然に退官するというのが分限令による制度であつた。この規定による休職期間は、分限令制定当初は高等官、判任官の区別なく3年であつたが、明治36年以後改められ(勅156)、高等官の場合は2年、判任官の場合は1年とされた。
 この規定を用いて、時の政府が事実上自由に官吏を罷免するようになつたので、政策の決定に関与する上級の官吏は、多かれ少かれ政党色に染まることになつた。ことに、選挙に関して強い勢力を持つ地方長官についてはこのことがはなはだしく、政変ごとに更迭されたのである。………(第97号8頁)

 戦前の分限制度で「休職期間が満了すると、当然に退職」とされていたことは知っていたが、このような使われ方をしていたとは思わなかった。現在の分限制度では「当然に復職」とされている。

(3) 政党勢力の没落
 昭和7年5月15日に陸軍と海軍の若手将校の一団によつて、政友会内閣の犬養首相が暗殺された5・15事件を機に、政党政治の全盛時代は終わりを告げた。すでに昭和6年9月若槻内閣の時代に関東軍によつて満州事変の火ぶたが切られており、いわゆる非常時が始まつたのである。
 犬養内閣の後をうけて退役の海軍大将斎藤実を首班とした挙国一致内閣が成立した。この内閣の下で当時俗に官吏身分保障令の制定といわれた分限の制度改正が行われた。すなわち、内閣成立後間もない昭和7年9月24日公布の文官分限令の改正(勅253)と文官分限委員会官制の制定(勅254)がそれである。
 その内容は、「官庁事務ノ都合ニ依リ必要ナルトキ」に官吏に休職を命じる場合は、高等官については文官高等分限委員会、判任官については文官普通分限委員会の諮問を経なければならないことにし、本人の同意があつた場合に限りこの諮問の手続きを省略しうるものとしたこと、および、従来官吏が刑事事件に関して単に告訴または告発されたときには休職を命じることができたのを、起訴されたときに改めたことである。
 ………このようにして、政党は官吏に対するその最大の武器を失つた。
 枢密院はこの制度改正には双手を上げて賛成した。………
 この時政府は自由任用の官の範囲の縮少をも枢密院に対して約束した。」………
 これは2年後の昭和9年4月9日同じ斎藤内閣の手によつて実現した。その結果、内務省警保局長、警視総監、貴族院書記官長、衆議院書記官長が自由任用の範囲から削られ、自由任用として残つたのは内閣書記官長、法制局長官、各省政務次官、各省参与官、秘書官のみとなつた。このままの形で終戦時まで続いたのである。(同号9頁~)

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