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513. 鵜飼信成=人事院月報第94号(続き) [49.「人事院月報」拾い読み]

 鵜飼信成の「民主的行政の条件」の後半を掲載する。

  国家公務員法案の批判

 このような批判の根拠としては、およそ次のようなことが考えられよう。まず第一に、この批判は、従来、人事行政の基本を掌握していた内閣の権限に対する評価から出発する。そうして内閣の手から、人事行政の基準設定権を切りはなすことによつて、人事行政の基礎にある一切の派閥的な関係を清算しようとするものである。そのような方式は、一応は、内閣から多かれ少かれ独立した地位をもつ人事行政機関の設置によつて、実現せられるであろう。
 しかしながら、この批判は、これだけをもつては満足しなかつた。それは第二の要素として、新たに独立性を与えられた人事行政機関に対する、別個の民主的コントロールの必要性を主張する。なるほど、内閣から独立した人事行政機関の設置が、内閣による人事行政権の独占に対する重要な改革の意味をもつことは、疑をいれない。けれども、この場合注意しなければならないことは、このようなアメリカ的ないわゆる科学的人事行政が、日本の政治的社会的条件の下でそのままの形で通用することはむずかしい、ということである。いいかえれば、問題は、外国で、一定の時期に、一定の条件の下で、十分な意味をもち、重要なものとして発展した制度が、それとは歴史的条件が異なり、したがつて当面の目標も異なる他の国の制度改革の方式として、無条件で移入されるということの困難さを、どのように理解するかということにある。
 もしこの点について正しい認識が得られるとするなら、少なくとも、戦後日本の制度改革の基本的視覚として、制度の民主化ということのもつている第一義的な重要性が把握されなければならない。そうしてもしそのことが明らかにされるなら、ひとり、新しい人事行政機関の内閣からの独立性だけでなく、それの新しい意味での民主化、したがつて民主的統制方式の設定の重要さが、理解されなければならないであろう。それについてどのような方法をとるにせよ、それが結局において、ある意味において、人事委員会の地位権限の弱化に終ることは自然でなければならない。
 国家公務員法案の上記のような批判者は、この立場から、たとえば、次のような改正を主張した。第一に、人事官は、内閣が両院の同意を得て任命するというのを改めて、国会の指名によつて内閣が任命するものとすること、第二にまた、人事官のうち1名は、とくに公務員全体の中から、その直接秘密選挙によつてえらぶものとし、他の2名は公務員以外のものでなければならないが、その資格要件として掲げられた政党役員でないことなどの点は、これを排除するものとすること、そうして第三に、人事官に対する弾劾の訴追が、原案では内閣総理大臣の権限に留保されているのを、国会の議決がある場合には、内閣総理大臣は、これに基づいて訴追を行わなければならないものとすること、などがそれであつた。
 とくに、原案にない新しい機関として、人事管理委員会の設置を要求したことが注目される。この機関は、委員9名から成り、うち1名は少なくとも婦人とする。委員は、国会議員2名、公務員労働組合代表1名、総理大臣の指名する公務員1名、各界代表5名で、人事行政機関の協力機関として、そこに民意を反映するのに有力な役割を果たすことが期待された。たとえば、人事院規則を制定する場合には、人事院は、この機関の議に付したのち、内閣総理大臣の承認を経なればならない。もし両者の意見が一致しないときは、内閣総理大臣が国会に報告し、その決定にまつものとする、というような制度が要求されるのである。それは、一方では、内閣から独立した人事行政機関を設けることの重要性を認めながら、他方同時に、そのよな独立の機関が、独立であることによつて、かつての統帥権の独立のように、国民の意思をはなれて、勝手な方向に動いて行かないためであつた。

  人事院の意義

 この二つの方向、すなわち同じようにフーバー案を修正し、同じように、人事院の地位権限を弱めようとする、上述の政府案と民間案の間には、実は本質的な差異がある。そして、その外見的な類似にもかかわらず、実はこの本質的な差異の方が重要である。
 政府案は、いわば、内閣と枢密院が全権をにぎつていた旧官僚制への郷愁にねざした思想であつて、したがつて、新しい科学的人事行政の方式、とくに内閣から多かれ少かれ独立した人事行政機関としての人事院の制度に対して懐疑的なのである。人事院の地位権限の弱化はすべてこの見地から企図されたものである。
 これに反して、民間案は、もともと、人事行政に関する内閣の権限について懐疑的なのである。したがつて、基本的には、内閣から独立した機関としての独立の委員会制度については、強い共感を示している。
 ただその独立性は、内閣からの独立性にしか過ぎないので、その外の機関に対しては、ある意味で従属性をもつていることを要求するのである。たとえば、国会との関係でいえば、従来の制度では枢密院の議を経て、勅令の形式で制定せられていた人事行政の基準をなす規範が、新しい制度では、国会の制定する法律でなければならないこととなつたばかりでなく、人事院自身の制定する人事院規則の範囲までも制限して、重要な事項-たとえば職階制、試験、勤務条件等がすべて法律によることを、公務員法自身が明記するとか、人事官の罷免は、基本的には、公開の弾劾手続によつて最高裁判所において行われるものとし、この訴追は、一に国会の権限とすることなどである。その外に、民意によるコントロールの方式として、人事管理委員会の設置が要求されていることは、上に述べた。
 こうしてみると、日本官僚制の近代化のためには、実は、人事院制度の確立、多かれ少かれ内閣から独立し、内閣の掌理する人事行政事務の一般的基礎を確立する機能をおびた、新しい型の人事行政機関の存在こそ、必要不可欠なものであるといわなければならぬ。そうして、そのような人事行政機関として現に与えられている人事院は、旧憲法下におけるような統一的人事行政機構への復帰の要求にもかかわらず、民主的行政の存立の最後の条件として、必ず考慮されなければならぬものではなかろうか。
 (東京大学社会科学研究所教授)


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