SSブログ

517. 文官任用制度の歴史Ⅲ(続き) [49.「人事院月報」拾い読み]

 「文官任用制度の歴史〔Ⅲ〕」の続き。

(5)戦時立法
 昭和15年10月東条内閣となり、同年12月8日太平洋戦争が開始されてからは、官庁機構と定員は益々膨張した。同時に軍人の勢力が行政官庁内部に伸びたことも当然であつた。ことに情報局情報官、企画院調査官(昭18.11.1以降は軍需省軍需官となる。)等には現役の軍人が盛んに任用されて威勢を振い、当時の文官にとつての苦しい思い出となつている。また、軍需産業界などの民間人で軍需省等の官職に送り込まれ、産業の指導、統制、連絡等にあたつた者もあつた。これらの任用はいずれも、勅任文官については前述の文官任用令の改正の結果として、また、奏任文官については単独の特別任用令(昭12、勅611。昭15、勅855。昭16、勅718等)により行われたのである。
 東条内閣は機構の膨張に対して、昭和17・8年度に行政整理を行つて一応官の定員を減少した。しかし、定員の減少は職員の昇任を困難にした。このため、昭和18年3月「各庁職員優遇令」(勅137)を発し、「重要ノ職ニ当リ功績顕著ナル」奏任文官を定員外で勅任とし、同じく判任文官を定員外で奏任とする途を開いたので、定員の制度は乱れた。
 戦争がたけなわになると召集、従軍等により外地でも内地でも官吏が多数死亡したり負傷したりした。昭和19年1月に「各庁職員危篤又ハ退官ノ際ニ於ケル任用等ノ特例」(勅5)を発して、これらの者を定員や任用資格にかかわりなく昇任させる途を開いた。職員を戦争目的に駆り立てる報償手段のにおいが強い立法であつた。
 この時期には学生も例外なく勤労奉仕に動員され、または召集されて高等試験の続行が不可能となつた。………(第97号11頁)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:仕事

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。