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522. 6・3ベースと年末年始の休日の攻防 [49.「人事院月報」拾い読み]

 新型コロナウイルスの猛威がやまない。それどころか、感染者はますます増加する中で2021年を迎えた。今、人類はコロナ禍に耐えている。きっとコロナ禍を乗り越え、楽しく明るい世界がやってくることを信じたい。

 さて、今回は人事院月報第100号(昭和34年6月1日発行)の座談会「人事院の思い出あれこれ」から、給与制度にかかわる話題を取り上げたい。座談会の出席者は、佐藤朝生前人事院事務総長(現在=当時、総理府総務副長官)、粕谷孝夫元人事院広報局長(現在=当時、ウルグアイ国駐さつ特命全権公使)、兼子宙元人事院能率局長(現在=当時、早稲田大学教授)、慶徳庄意前人事院管理局長(現在=当時、酪農振興基金常任幹事)の4人である。

   6・3ベースの勧告

 佐藤 6,307円の給与ベースの勧告をしたのは23年の11月9日でしたね。それをまた12月にやつたんですね。
 兼子 始めは臨時人事委員会のとき出して、次に公務員法の改正によつて、人事院として再び勧告したわけです。
 佐藤 そうでしたね。12月のなかばに給与法が国会を通過しその直後に国会を解散した。内容はどうでしたかね。8月に行つた第1回職種別民間給与調査に基づいてやつたんですね。
 粕谷 司令部のほうで計算してきたのかな。(笑)
 慶徳 この勧告の内容について非常に重大な点といいますと、今でこそ、給与水準の決定の方式が、民間賃金とのバランス、最低生活の保障とか、一般に理解されていますが、そのような考え方を始めて導入したということですね。
 兼子 マーケット・バスケット。マ・バ方式というやつだ。
 慶徳 買物袋。(笑)また、それまでは、観念的には考えられていたけれども、公務員の給与が、正規の勤務時間に対する勤労の代価であるという考え方も、あのときに始めて導入されたと思います。さらに、給与関係業務の合理化というような点から、給与の総体的な調整をはかるところを人事院としました。したがつて、人事院規則を制定しうることとなり、給与関係が二元的になつた。人事院と新給与実施本部と。
 佐藤 そうですね。内容はだんだん合理化してきているけれども、方式なり考え方の根本は、そういつた歴史をたどつていますね。
 慶徳 この勧告にからんで、実施面のことについてふれますと、特殊勤務手当や超過勤務手当やいろいろ問題にはなりましたが、とくに大蔵省と折衝して、いまだに思い出として残つておりますのは、年末年始の休暇は法律違反だといわれたことです。
 佐藤 あつた。あつた。
 慶徳 それは国民の祝日に関する法律が出ましたのでそれ以外のものは認められない、とこうきたんです。ところが、こちらでは太政官達でもつて、古いけれども有効なんだということでした。毎日むこうさんから呼ばれて、すつたもんだやつて結局ほおかぶりしてしまつたわけです。
 そういつたいきさつがあつて、あれは正規の勤務時間の中にはいつているのです。そのために、あの日に出勤しても、休日給は出ないということになつております。(11頁~12頁)

 この6・3ベースについて、『公務員給与法精義(全訂版)』(学陽書房)の記述を確認しておこう。

 1 六、三〇七円ベースの実施と俸給の再計算
 新給与実施法による一五級制の発足後間もない昭和二十三年六月に、その後の情勢の変化によりいわゆる三、七九一円ベースが実施されたが、これは俸給の水準の一律三割増と扶養手当の増額を内容とするものであり、制度的には別段の変更を加えるものではなかった。また、次いで同年十二月、人事院の第一回の給与勧告に基づく六、三〇七円ベースが行われることとなり、同年法律第二百六十五号により必要な改正が加えられたが、この改正も同ベースの実施のための改正が主体とされ、付随的には国家公務員法との関係等を考慮しての規定の改正、整備を図る趣旨のものであった。
 ところが注目すべきは、右の六、三〇七円ベースの実施と関係して、「俸給の再計算」ということが行われたことである。すなわち前述の十五級制の発足に伴う新俸給への切替えの措置がやや拙速的であったとこや、当時における労働情勢等とも関係して、各省庁の中には当該切替えおよびその後の昇給、昇格等の取扱いにおいて、公認された取扱い以上の取扱いを行った例がかなり存していた。このため六、三〇七円ベースによる新俸給額への切替えに当たってこのような不当な措置をいっさい排除させるとの方針がとられることとなり、職員の昭和二十三年十二月一日現在の俸給月額については、「改正前のこの法律並びにこれに基づく政令及び規則の規定に従い再計算せらるべきものとする。」こととされたわけである。そしてこの措置は、当時かなり話題をにぎわし、かつ、相当な波紋を残したが、それはそれとして、とかく混乱を伴いがちであった新俸給制度への移行も、これによって実質面からの再点検を終えたかたちとなり、ようやく新制度も軌道にのることとなった。

 2 人事院の関与と新給与実施本部の廃止
 新給与実施法による給与制度の実施を最初につかさどっていたのは、新給与実施本部である。この新給与実施本部は、同法の完全な実施を確保するための期間として同法の規定により設けられ、本部長は内閣官房長官、次長は大蔵省給与局長、部員は各省庁の給与事務担当者をもって充てられていた。ところが昭和二十三年十二月に人事院が設けられることとなり、さらに昭和二十四年十二月には給与行政一元化の趣旨から新給与実施本部は廃止されて、同本部の業務は全面的に人事院に吸収統合された。(46頁~47頁)

 続いて、「休日給」の沿革について引用しておきたい。

〔趣旨および沿革〕
(略)
 本条は、昭和六十年法律第九十七号による給与法の一部改正によって、第十四条の二として新たに職員の休日に関する規定が設けられたことに伴い、所要の改正が行われたものであるが、この改正前の本条の規定は次のとおりであった。
〇旧第十七条
(休日給)
第十七条 職員には、正規の勤務日が休日に当たつても、正規の給与を支給する。
2 休日において、正規の勤務時間中に勤務することを命ぜられた職員には、正規の勤務時間中に勤務した全時間に対して、勤務一時間につき、第十九条に規定する勤務一時間当たりの給与額の百分の百二十五を休日給として支給する。年末年始等で人事院規則で定める日において勤務した職員についても、同様とする。
3 前二項において「休日」とは、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日(第十四条第四項又は第五項の規定に基づき日曜日以外の日を勤務を要しない日と定められている職員にあつては、当該休日が勤務を要しない日に当たるときは、人事院規則で定める日)をいう。
 すなわち、前章でも述べたように、昭和二十四年一月一日前においては、給与上の取扱いとして国民の祝日と日曜日(週休日)とはともに休日として取り扱われ、したがって旧大十七条に相当する規定も存していなかった。ところが、昭和二十三年法律第二百六十五号による新給与実施法の一部改正によって、新たに職員の勤務時間に関する規定が整備されるに及んで、「勤務を要する日」、「勤務を要しない日」の区別が確立され、国民の祝日(休日)は勤務を要する日ではあるが休日とされるかたちのものとなったので、これとの関係で旧第十七条に相当する規定が設けられ、以後それが給与法に引き継がれてきたものである。つまり旧第十七条は、国民の祝日に関する法律に規定する休日が、職員の勤務時間に関する規定(給与法第十四条)上は、原則として勤務を要する日とされることとの関係において位置づけられてきたものであるが、前述の昭和六十年法律第九十七号による給与法の一部改正によって、国民の祝日に関する法律に規定する休日に加え、従来のいわゆる年末年始の休暇日についても、新たに給与法上において休日として位置づけ、ともに「特に勤務することを命ぜられている職員を除き、正規の勤務時間においても勤務を要しない」(第十四条の二)こととされたことに伴い、これに対応して現行の本条のように改正され、さらにあわせて必要な規定の整備が行われたものである。
 なお、旧第十七条第一項は、国民の祝日に関する法律に規定する休日に関していわゆるノーワーク・ノーペイの原則の特例を定めていた規定で、休日の特殊性に着目し給与法第十五条に規定する給与の減額の適用を排除していたものであったが、昭和六十年法律第九十七号による改正に際して、給与法第十五条に移し替えが行われている。
 また、旧第十七条第二項は、第一項との均衡において休日に特別に勤務した職員に対する割増給与の支給について定めているとともに、休日に準ずる日としての年末年始等で人事院規則で定める日に勤務した職員に対して、同様の取扱いとする旨を定めていた規定である。そしてこれらの規定中、第一項の規定と第二項前段の規定とは旧第十七条の制定当初より設けられていたのであるが、第二項後段の規定は昭和三十九年法律第百七十四号による給与法の一部改正によって追加された規定である。すなわち第二項後段にいう「年末年始等で人事院規則で定める日」とは、具体的には主として年末年始の休暇日等を指すが、従前はこのような日に勤務した職員に対しては、それがたまたま休暇が与えられないことの結果としての勤務にすぎないとして、第二項に規定する割増給与の支給ということは行われていなかった。しかしながら、休日と休暇日という形式上の差はあるにしても、大部分の職員に休暇が与えられ、実態として休日と大差のないこれらの日に特別に勤務する職員に愛して、なんらかの給与上の措置も行われないことは均衡上問題があり、その合理的解決を希望する意見が少なくなかった。ことに近年における社会生活の変化とも関係して、年末年始等に特別に勤務することが職員にとって一種の負担感を負わせるようになってからはそうであり、このために人事院の昭和三十九年の給与勧告においてこの点を改善すべき旨が取り上げられ、結果として同年の給与法の改正の際に、第二項後段の規定が設けられるに至ったという経緯が存している。(496頁~499頁)

 『公務員給与法精義』には、年末年始の休日を巡る人事院と大蔵省との攻防の記述はない。


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