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524. 部活動の地域移行 [32.部活動指導]

 令和3年1月22日発行の『内外教育』の「教育法規あらかると」に加茂川幸夫氏の「部活動の地域移行」と題したコラムが掲載されている。小見出しには「部活指導を希望する教員への手当」とあり、がぜん興味が湧く。
 前半は、2021年度予算案に盛り込まれた事業の紹介や、これまでの経緯が簡潔に述べられている。中段の最後の行以降の文章を読んで、「おや?」と思ってしまった。

 ただ、関係予算の確保はもとより、検討すべき課題は少なくない。特に、教員の服務関係では、兼職・兼業の在り方や処遇も課題となる。部活動指導には、特殊業務手当として部活動指導手当が支給されているが、きわめて不十分で、その性格も不明確。このような状況を見直せるのが、教育公務員特例法17条で認められる給与を受けての兼職・兼業。教育委員会が許可すれば、給与を受けながら、当該業務に従事できる。これまでも、教職調整額の対象とならない補習授業の謝礼金支払いも、教委が認めることにより可能とされている。(12年5月9日初等中等教育局長通知。)
 休日指導を教員が希望する場合、トータルの多忙さは変わらないかもしれないが、少なくとも、これまでサービス残業だった部活動指導を有給の兼職・兼業に改めることができる。この場合、本務に支障がないよう、許可の要件や処遇面でのガイドラインを示すことが望ましい。

 コラムの性格の故か、紙幅の制限によるものかはわからないが、きわめて荒っぽい説明だなと感じる。いくつも疑問が湧いてくる。例えば、部活動指導手当について「きわめて不十分で、その性格も不明確」としているが、不十分とは業務の負担や働きに見合った額ではないことを指摘しているのだろうが、昭和30年代の教員の超勤訴訟問題の解決策として教職調整額と特殊勤務手当の二本建てにより処遇するという整理になったのではなかったのか。「教育委員会が許可すれば、給与を受けながら、当該業務に従事できる」と書かれているが、正規の勤務時間内の部活動指導も対象に考えているのだろうか。休日の部活動指導について「これまでサービス残業だった」と述べるが、部活動指導手当の支給を評価していないし、どう理解すればよいのか…。一読した限りでは、法制度を踏まえた記述とは思えないし、元文部科学省の官僚だった方が「サービス残業」と言い切っていることに違和感を持つ。

 「サービス残業」が気になったので、もう一度『教育職員の給与特別措置法解説』(宮地茂監修、文部省初等中等教育局内教員給与研究科編著。第一法規。昭和46年)を読んでみる。

(2)教職調整額を四%とした根拠
①教職調整額が四%とされたのは、人事院の意見申出にあるとおりの率とされたからであるが、人事院の意見において四%とされたのは、文部省が昭和四一年度に行った教員の勤務状況調査の結果による超過勤務手当相当分の俸給に対する比率約四%という数字を尊重したからであるということである。
②文部省調査結果の四%の率は、次のような計算によって算定されたものである。
ア 八月を除く一一カ月の平均超過勤務時間は次のとおりである。
  小学校 二時間三六分
  中学校 四時間三分
イ 右の時間から、次のような時間を差引きまたは相殺減する。
(ア) 服務時間外に報酬を受けて補習を行っていた時間を差引く。
(イ) 服務時間外まで勤務する業務がある一方において、服務時間内において社会教育関係団体等の学校関係団体の仕事に従事した時間等があるが、今後においては、個々の教員についての校務分掌および勤務時間の適正な割り振りを行なう等の措置により、各教員の勤務の均衡を図る必要がある。右の調査結果は、教員自身の申告に基づくものであるが、これを、職務の緊急性を考慮し、超過勤務命令をかけるという観点から見直しをしてみ、これら社会教育関係活動等の服務時間内の勤務時間は、服務時間外の勤務時間から相殺減することとした。
ウ 右の結果、次の時間が今後における一週間の服務時間外勤務時間数と想定することができる。
  小学校 一時間二〇分
  中学校 二時間三〇分
  平 均 一時間四八分
エ 以上の結果に基づく一週平均の超過勤務時間が年間四四週(年間五二週から、夏休み四週、年末年始二週、学年末始二週の計八週を除外)にわたって行なわれた場合の超過勤務手当に要する金額が、超過勤務手当算定の基礎となる給与に対し、約四%にそうお党したものである。
 なお、高等学校についても同様の算定を行うと、差引控除後の超過勤務時間数は、全日制三八分、定時制〇分となり、小中学校に比して少なくなっている。
オ 以上のようにして算定された教職調整額は、諸手当へはねかえることにされているため、実質的には、約六%の手当措置に相当するものであり、その額が決して低いものではないことは、次の答弁からもうかがえるように人事院も自信を持っているところである。(110~112頁)

 昭和42年の教員の勤務状況ちょうさについては、別の個所でも説明がある。

 二 昭和四一年の教職員勤務状況調査
 一で述べた経緯により、昭和四一年四月三日から昭和四二年四月一日までの一年間にわたり、教職員の勤務状況の調査が行われた。この調査は、教職員の勤務状況を、条例・規則等の規定に基づいて割り振られた毎日の勤務開始時刻から勤務終了時刻までのいわゆる服務時間内に仕事をした状況と、校長の超過勤務命令のいかんにかかわらず、服務時間外に仕事をした状況とを調査したものである。このうち、本調査の主目的である服務時間外の勤務状況は次に述べる方法によって調査している。
(1) 服務時間外の勤務でも学校敷地内における勤務は、原則として調査対象としたが、自主研修、付随関連活動(関係団体活動等)および宿日直勤務については調査対象としなかった。
(2) 服務時間外の学校敷地外における勤務のうち、修学旅行、遠足、林間・臨海学校、対外試合引率、命令研修、事務出張にかかるものについては調査対象とし、次の方法で時間計算した。
(ア) これらの勤務が宿泊を伴わない場合
当該勤務の開始時刻から終了までの時間から、服務時間を差し引いて計算した。
(イ) これらの勤務が宿泊を伴う場合
「平日の勤務」…服務時間外の勤務はないものとして計算した。(出張の場合には通常の場合、超過勤務はないものとする考え方と同じ。)
     「日曜日の勤務」…平日の服務時間に相当する時間の勤務に限り調査したが、当該勤務時間は、服務時間外の勤務として計算した。
     「土曜日の所定の勤務終了時刻以降の勤務」…平日の服務時間から土曜日の所定の服務時間を差し引いた時間内の勤務に限り、当該勤務時間を服務時間外の勤務として計算した。
この調査の調査対象数と、調査の結果は、二四、二五頁の表のとおりであった。(表、省略)(23~26頁)

 これらの記述を読んでいくと、服務時間外の部活動指導は、超過勤務時間数として計算されているように読めるのだが、積極的な記述がないので、よくわからない。そこで、巻末に調査結果の概要が収録されているので、確認してみる。

 まず、「8月を除く11か月の平均超過勤務時間」どうかというと、年間平均では小学校は2時間30分、中学校は3時間56分となっている。これを12倍した時間から8月の超過勤務時間として小学校1時間16分、中学校2時間29分を差し引いた後11か月の平均を計算すると、本文の記述どおり、小学校は2時間36分、中学校は4時間3分となった。

 ここから本文に記載に従って対象外の時間を差し引きあるいは相殺減してみたい。
まず、「服務時間外に報酬を受けて補習を行っていた時間」を差引こととしたいが、一覧表では「補習・クラブ等指導」とまとめられていて、切り分けができない。記述を読んでいくと、小学校ではゼロ、中学校でのわずかな時間であることがわかったので、とりあえず、影響がごく小さい者としてここでは計算しない。
 次に、「社会教育関係活動等の服務時間内の勤務時間」を服務時間外の勤務時間から相殺減する計算をしたいのだが、Ⅳ付随関連活動のB社会教育関係活動の服務時間内の勤務時間を見ると、小学校は4分、中学校は5分であり、これだけでは本文に記載の「今後における1週間の服務時間外勤務時間数」には遠く及ばない。そこで、本文の記述では「等」の文字が使用されており、文章全体から考えるとA関係団体活動も含むと思われる。このA関係団体活動とは、「PTA活動(事務を含む)。校長会・教頭会・教科連絡協議会等のメンバーとしての活動」と説明されている。ちなみに、「校長の承認による研修会・研究会」は「承認研修」の中に含まれており、カウントされていない。そこで、Ⅳ付随関連活動の全体を相殺減の対象とすると、小学校は8月を除くと30分(年平均31分)、中学校は27分(年平均28分)となる。この時間数を控除すると、小学校は2時間6分、中学校は3時間36分となるが、本文記載の小学校1時間20分、中学校2時間30分にはそれぞれ46分、1時間6分届かない。
 どうかんがえても、これら以外の勤務時間が控除されていると考えるほかない。

 そこで、教員の勤務種類別の時間数を示した調査結果の表を眺めていくと、Ⅰ指導活動の中の項目に気になるものが2つある。
 一つは、C研修のうち「3自主研修」の服務時間内の時間で、小学校30分、中学校34分が含む時間外の時間から相殺減されてはいないか。
 二つは、A直接指導活動・2課外指導のうち「補習・クラブ等指導」の含む時間外の時間で、小学校9分、中学校56分が差し引かれてはいないか。補習はほぼゼロで、ここでいうクラブ活動は「正課のクラブ活動の時間を超えて行うものの指導等」と説明されている。「等」とあるが、これは、授業に組み込まれない臨界・臨海学校等である。
 ここで計算をしたいのだが、残念ながら月別の時間数が示されていないので、正確な計算ができない。8月を除いた11か月の平均を計算すると年間平均の数値から少し動くと思われるが、計算のしようがない。
 しかたがないので、年間平均の数字をそのまま控除してみる。まず、自主研修の時間を相殺減すると、小学校は1時間36分、中学校は3時間2分となる。小学校はあと16分だが、中学校はあと32分差し引かないと合わない。更にクラブ活動等を差し引くと、小学校は1時間27分でほぼ一致する。中学校は2時間6分となって24分引きすぎとなる。しかし、クラブ活動等を差し引かないと、ほかに引く時間がない。夏休みは中間に練習を終えると考えれば時間外は少なくてすむとも考えられるので、やはりクラブ活動の超勤時間を差し引いていると考えてよいのではないだろうか。

 ここでようやく1月22日発行の『内外教育』のコラムに戻る。
 「これまでサービス残業だった部活動指導」と述べているのは、昭和41年の教員の勤務状況調査の結果、服務時間外勤務時間からクラブ活動の指導時間が差し引かれたことを、つまり、教職調整額4%の基礎とされた超過勤務時間に算入されていないということを承知の上でのことなのだろうか。もしそうだとするならば、このノートで考察した結果を裏付けることになるのだが。
 ということは、つまり、部活動指導に関しては、教職調整額と特殊勤務手当の二本建てで処遇されはいないということ、言い換えると、本給が支給されていないにもかかわらず、特殊勤務手当だけが支給されているのだ。ということは、最低賃金にも満たない額で「きわめて不十分」であり、「その性格も不明確」とのコラムの主張は、首肯できることになる。
 一読した段階ではなんとなく違和感を覚えたのだが、改めて教員の給与制度の経緯を確認していくと、部活動指導の処遇に関する中途半端な構造が鮮明になり、「荒っぽい」と感じたコラムの筆者の主張も理解できるのである。



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523. 特殊勤務手当改正の要点 [49.「人事院月報」拾い読み]

 人事院月報第105号(昭和34年11月1日発行)に「特殊勤務手当改正の要点」が収録されている。

 昭和34年10月5日に政府職員の特殊勤務手当に関する政令の一部を改正する政令(昭和34年政令第317号)が公布され、あわせて昭和34年人事院指令9-218(昭和28年人事院指令9-72(政府職員の特殊勤務手当の支給について)が発出され、政府職員の特殊勤務手当の一部が改正された。おもな改正点は、大学院研究科担当手当、多学年学級担当手当、海員学校実習授業手当、航空交通管制手当、駐留軍関係業務手当および死体処理作業手当の新設、危険作業手当の支給範囲の拡大ならびに隔遠地所在官署に勤務する職員の特殊勤務手当の手当額の改定である。(22頁)

 多学年学級担当手当をはじめ、教員関係の手当新設などが多い感じがする。早速、一部を抜粋してみたい。

   多学年学級担当手当
 2以上の学年の児童または生徒で編制する学級(以下「多学年学級」という)における授業等を行なつている国立の小学校または中学校の教諭、助教諭または講師(以下「国の教員」という)は、1学年の児童または生徒で編制する学級で従業等を行なつている国の教員に比較して、勤労の度が強く、精神的肉体的労苦も大きい。一方、地方公務員たる教員には、単級小学校、複式学級手当等の名称をもつた給与措置がとられており、以上の諸点を勘案して、国の教員にも、手当が支給できるよう制度化した。
1 手当の内容
(1) 対象作業:多学年学級における授業または指導(政令第52条)
(2) 対象職員:国立の小学校または中学校に勤務する教諭、助教諭および講師。ただし次の者は除かれる。(政令第52条、指令第6項)
(イ) 俸給の調整額を受ける者
(ロ) 多学年学級における担当授業時間数/担当授業時間数<1/2の者
(ハ) 多学年学級における担当授業時間数が1週間につき12時間に満たない者
2 手当額
 勤務1日につき次に掲げる額(政令第53条、指令第7項)
(イ) 小学校の第1学年から第6学年までの児童または中学校の第1学年から第3学年までの生徒で編制されている学級における授業または指導に従事したとき 48円
(ロ) 多学年学級のうち前号に掲げる学級以外の学級における授業または指導に従事したとき 36円
3 実施期日
 昭和34年9月1日から適用(政令附則第2項)

 そうか! 多学年学級担当手当は、地方が先行していたのか!



 次に出てくる海員学校実習授業手当は、運輸省海員学校において船舶に関する科目の実習授業または実習を伴う授業を担当している教員を対象とする特殊勤務手当として新設されたようである。説明を読み進めると、「また文部省所管の産業教育手当を支給されている学校との関係もあつて、優秀な教員の確保に支障をきたしているので、手当が支給できるよう制度化した。」とある。なあるほど…。手当額は、授業1時間につき25円。

 また、隔遠地手当についても記述があり、へき地手当との関係が述べられている。

 隔遠地に勤務する職員の困難性を考慮し、あわせて教職員のへき地手当との均衡をはかるため、隔遠地手当の支給割合の最高限度を引き上げるとともに、手当額の算出の基礎に扶養手当の月額を加えることとした。
1 手当額
 隔遠地手当の月額は、俸給の月額と扶養手当の月額との合計額の100分の25以内(政令第95条)
2 実施時期
 昭和34年4月1日から適用(政令附則第2項)


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522. 6・3ベースと年末年始の休日の攻防 [49.「人事院月報」拾い読み]

 新型コロナウイルスの猛威がやまない。それどころか、感染者はますます増加する中で2021年を迎えた。今、人類はコロナ禍に耐えている。きっとコロナ禍を乗り越え、楽しく明るい世界がやってくることを信じたい。

 さて、今回は人事院月報第100号(昭和34年6月1日発行)の座談会「人事院の思い出あれこれ」から、給与制度にかかわる話題を取り上げたい。座談会の出席者は、佐藤朝生前人事院事務総長(現在=当時、総理府総務副長官)、粕谷孝夫元人事院広報局長(現在=当時、ウルグアイ国駐さつ特命全権公使)、兼子宙元人事院能率局長(現在=当時、早稲田大学教授)、慶徳庄意前人事院管理局長(現在=当時、酪農振興基金常任幹事)の4人である。

   6・3ベースの勧告

 佐藤 6,307円の給与ベースの勧告をしたのは23年の11月9日でしたね。それをまた12月にやつたんですね。
 兼子 始めは臨時人事委員会のとき出して、次に公務員法の改正によつて、人事院として再び勧告したわけです。
 佐藤 そうでしたね。12月のなかばに給与法が国会を通過しその直後に国会を解散した。内容はどうでしたかね。8月に行つた第1回職種別民間給与調査に基づいてやつたんですね。
 粕谷 司令部のほうで計算してきたのかな。(笑)
 慶徳 この勧告の内容について非常に重大な点といいますと、今でこそ、給与水準の決定の方式が、民間賃金とのバランス、最低生活の保障とか、一般に理解されていますが、そのような考え方を始めて導入したということですね。
 兼子 マーケット・バスケット。マ・バ方式というやつだ。
 慶徳 買物袋。(笑)また、それまでは、観念的には考えられていたけれども、公務員の給与が、正規の勤務時間に対する勤労の代価であるという考え方も、あのときに始めて導入されたと思います。さらに、給与関係業務の合理化というような点から、給与の総体的な調整をはかるところを人事院としました。したがつて、人事院規則を制定しうることとなり、給与関係が二元的になつた。人事院と新給与実施本部と。
 佐藤 そうですね。内容はだんだん合理化してきているけれども、方式なり考え方の根本は、そういつた歴史をたどつていますね。
 慶徳 この勧告にからんで、実施面のことについてふれますと、特殊勤務手当や超過勤務手当やいろいろ問題にはなりましたが、とくに大蔵省と折衝して、いまだに思い出として残つておりますのは、年末年始の休暇は法律違反だといわれたことです。
 佐藤 あつた。あつた。
 慶徳 それは国民の祝日に関する法律が出ましたのでそれ以外のものは認められない、とこうきたんです。ところが、こちらでは太政官達でもつて、古いけれども有効なんだということでした。毎日むこうさんから呼ばれて、すつたもんだやつて結局ほおかぶりしてしまつたわけです。
 そういつたいきさつがあつて、あれは正規の勤務時間の中にはいつているのです。そのために、あの日に出勤しても、休日給は出ないということになつております。(11頁~12頁)

 この6・3ベースについて、『公務員給与法精義(全訂版)』(学陽書房)の記述を確認しておこう。

 1 六、三〇七円ベースの実施と俸給の再計算
 新給与実施法による一五級制の発足後間もない昭和二十三年六月に、その後の情勢の変化によりいわゆる三、七九一円ベースが実施されたが、これは俸給の水準の一律三割増と扶養手当の増額を内容とするものであり、制度的には別段の変更を加えるものではなかった。また、次いで同年十二月、人事院の第一回の給与勧告に基づく六、三〇七円ベースが行われることとなり、同年法律第二百六十五号により必要な改正が加えられたが、この改正も同ベースの実施のための改正が主体とされ、付随的には国家公務員法との関係等を考慮しての規定の改正、整備を図る趣旨のものであった。
 ところが注目すべきは、右の六、三〇七円ベースの実施と関係して、「俸給の再計算」ということが行われたことである。すなわち前述の十五級制の発足に伴う新俸給への切替えの措置がやや拙速的であったとこや、当時における労働情勢等とも関係して、各省庁の中には当該切替えおよびその後の昇給、昇格等の取扱いにおいて、公認された取扱い以上の取扱いを行った例がかなり存していた。このため六、三〇七円ベースによる新俸給額への切替えに当たってこのような不当な措置をいっさい排除させるとの方針がとられることとなり、職員の昭和二十三年十二月一日現在の俸給月額については、「改正前のこの法律並びにこれに基づく政令及び規則の規定に従い再計算せらるべきものとする。」こととされたわけである。そしてこの措置は、当時かなり話題をにぎわし、かつ、相当な波紋を残したが、それはそれとして、とかく混乱を伴いがちであった新俸給制度への移行も、これによって実質面からの再点検を終えたかたちとなり、ようやく新制度も軌道にのることとなった。

 2 人事院の関与と新給与実施本部の廃止
 新給与実施法による給与制度の実施を最初につかさどっていたのは、新給与実施本部である。この新給与実施本部は、同法の完全な実施を確保するための期間として同法の規定により設けられ、本部長は内閣官房長官、次長は大蔵省給与局長、部員は各省庁の給与事務担当者をもって充てられていた。ところが昭和二十三年十二月に人事院が設けられることとなり、さらに昭和二十四年十二月には給与行政一元化の趣旨から新給与実施本部は廃止されて、同本部の業務は全面的に人事院に吸収統合された。(46頁~47頁)

 続いて、「休日給」の沿革について引用しておきたい。

〔趣旨および沿革〕
(略)
 本条は、昭和六十年法律第九十七号による給与法の一部改正によって、第十四条の二として新たに職員の休日に関する規定が設けられたことに伴い、所要の改正が行われたものであるが、この改正前の本条の規定は次のとおりであった。
〇旧第十七条
(休日給)
第十七条 職員には、正規の勤務日が休日に当たつても、正規の給与を支給する。
2 休日において、正規の勤務時間中に勤務することを命ぜられた職員には、正規の勤務時間中に勤務した全時間に対して、勤務一時間につき、第十九条に規定する勤務一時間当たりの給与額の百分の百二十五を休日給として支給する。年末年始等で人事院規則で定める日において勤務した職員についても、同様とする。
3 前二項において「休日」とは、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日(第十四条第四項又は第五項の規定に基づき日曜日以外の日を勤務を要しない日と定められている職員にあつては、当該休日が勤務を要しない日に当たるときは、人事院規則で定める日)をいう。
 すなわち、前章でも述べたように、昭和二十四年一月一日前においては、給与上の取扱いとして国民の祝日と日曜日(週休日)とはともに休日として取り扱われ、したがって旧大十七条に相当する規定も存していなかった。ところが、昭和二十三年法律第二百六十五号による新給与実施法の一部改正によって、新たに職員の勤務時間に関する規定が整備されるに及んで、「勤務を要する日」、「勤務を要しない日」の区別が確立され、国民の祝日(休日)は勤務を要する日ではあるが休日とされるかたちのものとなったので、これとの関係で旧第十七条に相当する規定が設けられ、以後それが給与法に引き継がれてきたものである。つまり旧第十七条は、国民の祝日に関する法律に規定する休日が、職員の勤務時間に関する規定(給与法第十四条)上は、原則として勤務を要する日とされることとの関係において位置づけられてきたものであるが、前述の昭和六十年法律第九十七号による給与法の一部改正によって、国民の祝日に関する法律に規定する休日に加え、従来のいわゆる年末年始の休暇日についても、新たに給与法上において休日として位置づけ、ともに「特に勤務することを命ぜられている職員を除き、正規の勤務時間においても勤務を要しない」(第十四条の二)こととされたことに伴い、これに対応して現行の本条のように改正され、さらにあわせて必要な規定の整備が行われたものである。
 なお、旧第十七条第一項は、国民の祝日に関する法律に規定する休日に関していわゆるノーワーク・ノーペイの原則の特例を定めていた規定で、休日の特殊性に着目し給与法第十五条に規定する給与の減額の適用を排除していたものであったが、昭和六十年法律第九十七号による改正に際して、給与法第十五条に移し替えが行われている。
 また、旧第十七条第二項は、第一項との均衡において休日に特別に勤務した職員に対する割増給与の支給について定めているとともに、休日に準ずる日としての年末年始等で人事院規則で定める日に勤務した職員に対して、同様の取扱いとする旨を定めていた規定である。そしてこれらの規定中、第一項の規定と第二項前段の規定とは旧第十七条の制定当初より設けられていたのであるが、第二項後段の規定は昭和三十九年法律第百七十四号による給与法の一部改正によって追加された規定である。すなわち第二項後段にいう「年末年始等で人事院規則で定める日」とは、具体的には主として年末年始の休暇日等を指すが、従前はこのような日に勤務した職員に対しては、それがたまたま休暇が与えられないことの結果としての勤務にすぎないとして、第二項に規定する割増給与の支給ということは行われていなかった。しかしながら、休日と休暇日という形式上の差はあるにしても、大部分の職員に休暇が与えられ、実態として休日と大差のないこれらの日に特別に勤務する職員に愛して、なんらかの給与上の措置も行われないことは均衡上問題があり、その合理的解決を希望する意見が少なくなかった。ことに近年における社会生活の変化とも関係して、年末年始等に特別に勤務することが職員にとって一種の負担感を負わせるようになってからはそうであり、このために人事院の昭和三十九年の給与勧告においてこの点を改善すべき旨が取り上げられ、結果として同年の給与法の改正の際に、第二項後段の規定が設けられるに至ったという経緯が存している。(496頁~499頁)

 『公務員給与法精義』には、年末年始の休日を巡る人事院と大蔵省との攻防の記述はない。


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