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511. 藻利重隆=人事院月報第87号(続き) [49.「人事院月報」拾い読み]

 前回に引き続き、藻利重隆「テイラアの精神革命論と人間関係論」(人事院月報1958年5月号)。

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 われわれは、科学的管理の本質をなすものとして提唱せられる精神革命論の意義を、その広狭いずれの意味においても、否定せざるをえないこととなつた。それではテイラアの精神革命論はなんらの意味をももちえないものであろか。けつしてそうではない。けだし、テイラアが精神革命の内容として意識的に陳述するとことは広狭二種の精神革命につくされているようである。また、その重要性の提唱も意識的にはこれを科学的管理の本質と解することにつくされているようである。ところが、このような陳述によつてテイラアがつくしえなかつた真意は、かえつて別のところにあるように思われる。そして、われわれはこれを、科学的管理の導入を容易にし、またそれを成功させるための必要条件をなすものだと解することにもとめることが出来る。つまり、科学的管理の導入体制を労資双方について形成するところに、テイラアの主張する「精神革命」の真意があつたものと解するわけである。科学的管理の導入には相当の期間を必要とするのであつて、短期間のうちにこれを実現するときは、成功はおぼつかない、とするテイラアの主張の意味をわれわれは正しく理解しなければならない。それは、管理制度の「変更」(change)に関して「変更の速度」(rate of change)の問題を取りあげ、「精神革命」とよばれる精神的な導入態勢の形成について配慮することの必要を説くとともに、そのために要する時期に留意するべきことを強調しているわけである。テイラアは科学的管理が労働者のあらゆる反対にもかかわらず進展するべき歴史的必然性をもつことをのべているのであるが、しかしこのことは、労働者の反対を緩和し、これを克服するための努力が無用であることを意味しないのみならず、かえつて、科学的管理の円滑な導入をはかるために、こうした努力が必要であることを意味しているものと解しなければならない。そして、これに答えようとするものこそが、まさにテイラアのいわゆる「精神革命」の真意をなすのであり、したがつて、精神革命は科学的管理の導入に対する促進条件をなすものと解せざるをえないのである。ところが、このような促進条件の整備は、ひとり科学的管理の導入に関してのみ要請せられるものではなくて、あらゆる「変更」の導入に関して要請せられる。テイラアの言をもつてすれば「・・科学的管理導入の歴史のみならず、労働節約機械導入の歴史もまた、どのような産業においても急激な変更をなすことは不可能であることを示している」のである。ところで、こうした問題こそは昨今いわゆる「人間関係論」の名において論ぜられている問題であることを注意しなければならない。けだし、人間関係論ないし人間関係論的人事管理こそは、「変更」の導入に際して配慮せられるべき「変更の速度」の問題をその中心問題として取りあげるものだからである。ところで、この「変更の速度」を規定するものをテイラアは「精神」ないし「精神的態度」の変更に要する時間にもとめているのであるが、人間関係論はこれを「心情」ないし「行動の型」の変更に要する時間にもとめているのである。
 ただ、人間関係論的人事管理がこれまで労働者の心情の問題を中心的に取りあげて、管理者の心情の問題を等閑に付し、これをほとんど取りあげていないのに反して、テイラアの精神革命論においては、管理者の問題がとくに重視せられていることは、これを看過しえないであろう。テイラアによれば、改善その他の変更の導入に関して発現する紛争の十分の九は管理者側から発生し、わずかに十分の一が労働者側から発生するにすぎない。すなわち管理者の側における「精神革命」の完成が、科学的管理の導入その他の改善にとつてきわめて重要であることを提唱するのがテイラアにほかならない。管理者ないし経営者の「頭の切替え」の必要が強調せられ、経営者教育の緊要性が論ぜられている今日、テイラアの精神革命論の意義はけつして軽視せられえないであろう。

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 「テイラア証言」におけるテイラアの陳述は、必ずしも一貫性を有しないのみならず、さらにそこには多くの矛盾が見出される。そこに強調せられる「精神革命」ももとよりこの例外をなすものではない。それが「労資協調主義の完成」として理解せられるかぎり、精神革命は科学的管理とは無関係であり、またそれが抽象的な「科学主義の完成」のみを意味するならば、それは科学的管理の前提条件とはなりえても科学的管理の本質を形成することにはならない。けれどもこのことはテイラアにおける精神革命論が無意味であることを意味しない。けだし、テイラアの精神革命論には「変更」の導入に関してその精神的受入態勢を形成することとしての別の意義が見出されるのであるが、ここにこそわれわれは、今日の人間関係論が取りあげている「変更の速度」の克服に関する先駆的問題提起を見出すことが出来るからである。それはひとり科学的管理のみならず、あらゆる能率増進上の諸方策の実施に関して、これを円滑化し、さらに効果的なものにするための人間的条件の形成を問題とするものにほかならない。われわれは「精神革命論」の名において今日の人間関係論的問題点を看破し、高唱したテイラアの卓見に深く経緯を表せざるをえないのである。

 著者《もうり しげたか》一橋大学教授 経営学専攻

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