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385.古書散歩(その14)=『教職員の給与制度詳説』 [24.古書散歩]

 三本建給与になった経緯については、佐藤三樹太郎『教職員の給与(新版)』(学陽書房)の32~37頁に「どうして三本建給与となったか」と題して、もう少し詳しく解説されている。それ以上に詳しく、当時の雰囲気をよく説明している書籍がある。大沼淳『教職員の給与制度詳説』(帝国地方行政学会、昭和32年)である。
 大沼氏は、元人事院の官僚で、「はじめに」によれば、「私がこの教育職員の給与問題に関係をもつようになつてから七年余りを経過している。」とある。当時の人事院給与局長滝本忠男が序を寄せている。
 本書は、第一編 教育職員給与制度概説、第二編 教育職員新給与制度の解説、第三編 公立学校職員の給与となっている。このうち「第三編については、文部省初中局財務課補佐官の佐藤三樹太郎氏に、公立学校の給与問題を中心に地方財政との関連を混えて全面的に執筆していただいたもの」とされている。

第一編の第二章 教育職員給与制度の沿革から抜粋する。

二 三本建給与制度の制定経緯
 教育職員の給与問題に関して、教職員組合、教育関係者がどのような主張をなして来たかは既に述べてきたことであるが、人事院か給与準則を制定するための研究を昭和二十七年より開始し、その研究の一端としての教育職員俸給表の制定をめぐり、再度教員給与制度の問題が再燃、教育関係者の最大関心事の一つとなり、その是非をめぐって論議も最高潮に達するが如き観を呈した。戦後のめまぐるしいばかりの給与制度の変遷は、国民生活の悪化と労働組合の台頭により、戦前の官吏の待遇の上厚下薄の傾向をすべて平均化の方向へと位置づけたが、徐々に社会が安定し、生活条件が改善されるに従い、これらの傾向に対する批判や不満も現れ、教員の給与制度もこの批判の対象として、大きくクローズアップされて来たわけである。
 即ち、全国高等学校校長会及び全日本高等学校教職員組合を中心とする高等学校関係者は、大学、高校以下各学校と二大別された現行給与制度下においては、現実に高校において生起している給与の陥没を救済し得ないものとして、大学、高校、中小校と三大別された給与体系にすべきであるとの主張をなすに及んで中小学校職員との間に意見の相違をみることとなった。
 中小学校教員を主体勢力とする日本教職員組合は、全力を挙げてこの三本建給与を阻止すべき体制を整えその運動は高等学校教員組合の運動と対立する結果となった。
 更にこの問題は、国会においても、自由、改進分由党等の保守政党及び左右両派社会党等の革新政党において、それぞれの立場から取り上げられ、その是非をめぐって検討されることとなり、遂に政治問題に発展するに至った。時の内閣は、勿論自由党内閣であり、岡野文相、次の大達文相も共に文部委員会等において三本建給与制度への意向を表明し、全高教組等の陳情もあり次第に保守政党内に、三本建給与制度是認空気が強くなったのである。
 第十六回特別国会が開催されるや自由党の総務会、同政策調査会及び改進党の政策調査会においてこれらの問題を取り上げ関係官庁、又は関係者の意見を再三にわたり聴取し、共に三本建給与制度にすべきことを決議し、政府又は人事院へもその意向が伝えられた。人事院においては、これら政党の動きとは別に教員の給与制度について研究を重ね、俸給表を大学、高校、中小校の三表としその実質内容を、大学、高校以下各学校の二区分とした給与制度を勧告した。これは、現在の文教制度において明確に三本建給与制度とすべき理由はみあたらないが、教員の免許資格の相違、職員構成の相違から、それぞれ職域差のあるなしに関係せずその実態に即応するよう俸給表の型式なり等級なり給与の巾なりを考えて作られたものであった。政府としては新しい給与制度が人事院において研究されている時でもあるし、その勧告の結果をみてからとの観点から比較的静観的であり、又人事院の給与準則の勧告がなされた後も、勧告が全面的に取り上げない限り教員の部分のみ準則案を取り上ぐることはできないという関係で、遂に三本建乳余生度は取り上げるところとはならなかった。
 又この特別国会において、丁度昭和二十八年の補正予算が提案され審議されていた。当時野党であった改進党は、政府提案の補正予算の修正案として、この三本建給与制度の実施に必要な予算として二億八千万円を提出、与党である自由党側も異論ある筈がなく補正予算として法律案提出以前に予算措置が成立したのである。
 かかる経緯の下に自由党においては、三本建給与制度を議員立法することに決定、法律案の作成に着手し、自由党の赤城宗徳議員(元文部政務次官、現農林大臣)を中心として坂田道太議員、田中好議員もその責任者となり、当時の人事委員会(委員長川島正次郎議員(現自由党幹事長))の自由党委員により法案の審議が進められることとなり、改進党(当時の中心者…田中久雄議員、椎熊三郎議員)との合同審議を再度開き、意見の調整を行い成案を急いだ。かくして教育職員給与制度を三本建とする給与法の一部改正法案が自由党、改進党、分自党の三党共同提案として国会の審議に附されることになった。その後衆議院人事委員会の審議を中心に審議が進められ、提案者である自由党の赤城議員が答弁者となり、与野党の論議、関係政府機関の意見が交わされ、更に文部委員会(委員長竹尾弐議員(元文部政務次官))との合同審議を含め数回にわたり開催、左右両派社会党の強硬な反対もあり審議は難行したが、会期延長もこのために行い、参議院の審議を経てしょうわ二十八年八月十八日この給与法の一部を改正する法律が成立し、ここに教員三本建給与制度が確立されたのである。(51~53頁)

 国会会議録を検索すると、昭和28年7月28日の衆議院人事・文部委員会連合審査会において、提案者赤城宗徳が趣旨説明をしている。

○川島委員長 これより人事委員会、文部委員会連合審査会を開会いたします。
 協議の決定に基きまして私が委員長の職務を行います。
 ただいまより一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律案について審査を行います。まず提案者の趣旨の説明を聴取いたします。赤城宗徳君。
○赤城委員 教職員の給与に関しましては、御承知の通り現在給与法におきまして一般俸給表によつて給与が決定されておるのでありますが、教育職員の特殊性にかんがみまして、一般俸給表からこれを分離いたしまして、紋別俸給表によつて教職員の給与を決定したいということが提案の趣旨の第一であります。そのようにいたしまして級別俸給表を三つつくりました。これは大学、高等学校あるいは中小学校等のそれぞれの職域に応じて、それに適当なる給与の俸給を立てた方がよかろうということで三本にいたしたわけであります。
 第一に、給与の額の決定でありますが、この提案しました俸給表のうち、四級から十一級までにはそれぞれ調整号俸が一号現在ついておりますので、一般俸給表の本俸に一号だけの調整号俸を加えた額をもつて、それぞれの俸給表の号俸の額といたしたのであります。これによりまして調整号俸として扱われておつたものが本俸に繰入れられることになりますので、中小学校、高等学校、大学を通じて名目上の優遇をはかるということが一つであります。
 次に、中小学校及び高等学校、大学を通じまして最高号俸を引延したのであります。中小学校におきましては、現在教諭の最高号俸は三万一千九百円で、通し号俸で言いますれば六十号でありまするが、これを三万五千九百円、通し号俸で大十三号まで延ばしたのであります。校長につきましては現在三万一千九百円、通し号俸で大十号のところを三万八千八百円、通し号俸で六十五号のところまで、中小学校につきまして延ばしたわけであります。高等学校におきましては、現在教諭の最高号俸が三万一千九百円、六十号でありまするところを、三万八千八百円、大十五号にまで延ばしたのであります。校長につきましては、三万一千九百円のところを四万三千三百円まで、六十八号まで延ばしたのであります。大学におきましては、教授の点におきまして四万六千三百円は、七十号で現在と同じでありますが、時に大学院を置く学校等におきましては、国際的にりつぱな教授もおるというような関係から、これを五万一千二百円、七十三号まで延ばしたのであります。
 第三には、職域の差を認めるというような関係から、中小学校と高等学校との間に最高号俸の点で差異をつくつたばかりではなく、提案しました級号のうち、四級――現在は七級になつておりますが、四級から八級、現在の十一級まで一号俸づつ上げてあるのであります。また大学におきましては、高等学校で四級から八級まで上げてあります上に、九級より十級まで一号をさらに上げて、各学校等の特色を織込んだ給与の体系をつくつて御提案申し上げた次第でございます。
 なお附則におきましてこの切りかえに必要なるそれぞれの措置を講じて、現在受けておる給与よりも低くならざるように、不利な立場に立たないような措置を、切りかえにあたつてするように附則においてきめておる次第でございます。
 以上提案の理由を御説明申し上げましたが、何とぞ御審議の上、すみやかに、御可決願いますれば幸いに存じます。

 なお、教員三本建給与制度成立後の昭和29年8月23日、中教審は「義務教育学校教員給与に関する答申」を文部大臣に提出している。この答申は、いわゆる富裕府県と貧弱府県との間において給与の不均衡が生じていることなどの問題に関して審議し、教員給与にかかわる対策についての考え方を取りまとめたものである。そして、この答申には、教員三本建給与制度にかかわる付言が述べられている。

(付)給与三本建について
 いわゆる給与三本建の問題は、本委員会が設置された当時から、世間の問題となっていたこととて、当初この点から検討を加えて行ったのであるが、終局において本答申案の対策の1で述べているように、教員給与制度の再検討は教員としての職務の特殊性をはっきりつかむことが前提であり、それが明らかになれば教員としての職階もおのずからきめられるであろうし、またこれらの検討過程において、必要があれば三本建の問題にも触れることになるであろう。それゆえ他の問題と切離してひとり三本建だけを取り上げてその是非を論ずることは不可であり、それは教員給与制度全体の問題の検討の中に含まれるものであるという考えに落ちつき、さらに本答申案は、教員の中の義務教育学校教員の給与について論じた等の点から、直接現行三本建給与の是非に関する意見は、本特別委員会の結論としては触れないことにした次第である。

 この結論では肩すかしをくらったようで、当時もきっと期待外れであったのではないだろうか…。

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373.古書散歩(その12)=『教員給与の話』 [24.古書散歩]

 加除式の法規集をはじめ、各種の例規集や行政関係図書を刊行している株式会社ぎょうせいのホームページでその会社概要を見ると、「1893年(明治26年)、京都に「帝国地方行政学会」として誕生し、地方行政の研究誌「地方行政」の出版を始めました。」とある。株式会社として新たに発足するのは1974年(昭和49年)とのことであるが、その10年前、昭和39年から、帝国地方行政学会は校長、教頭、指導主事等向けの教育百科選書として、B6判サイズの『学校選書』を刊行している。
 第3回配本の中に『教員給与の話』(昭和41年6月25日発行)がある。著者は、文化庁長官を務めた文部官僚、安達健二である。当然ながら、内容は専門的なものではなく、平易な解説が中心となっている。
 「はしがきに」よれば、「わたくしは、昭和三十七年から二年半にわたって文部省大臣官房の人事課長に在任したのであるが、その間教員の給与改善については毎年の人事院勧告に先立っての教員給与改善についての人事院への申し入れと折衝、三本建て給与体系の問題、大学院担当教官に対する俸給の調整額の支給、国立七大学総長認証官法案の立案など思い出は多い。」とある。

 本書の記述をいくつか拾ってみる。

四 職階制との関係
 (略)
 ところで、たとえば小・中学校の教諭の俸給の例をとってみれば、初号俸一八、七○○円から三八号俸七三、六○○円までにわたっている。大学卒の場合であれば、その初任給は四号俸二三、○○○円で、教諭として普通の成績またはそれ以上の成績で勤務するならば(特に不良な成績でない限り)、毎年定期昇給していき、三五年にわたりうるのである。このように同じ職務に従事しながら、それに対する反対給付額が、最低と最高とで四倍以上にもなっていることは、純粋な職務給という考え方からすれば、ぴったりしないものともいえよう。また、なまけ者も熱心な者も給与上はほとんど差が生じないという現行制度には何か割り切れない感があるであろう。-特別昇給という制度があるにはあるが、公立学校ではあまり行われていない。-こうした点では、現行給与制度は多分に生活給的要素を含んでいるのである。またこの要素は後述の昇給制度でみるように、現行の給与が学歴と経験年数によりほとんど決定されるという、いわゆる年功序列型給与にもつながるわけである。なお、このような制度は、学歴と経験年数とによって、職務遂行の能力を図ることができるという仮定に立っているものといえよう。(7~8頁)

七 超過勤務手当(給与法第一六条)
 (略)
 しかし、この手当を支給しうるには、一 正規の勤務時間を越えた勤務であること、二 上司から命令された勤務であること、三 職員が実際に勤務したものであること、のいずれの要件をも満たすことが必要である。それには、勤務時間の管理が厳密に行われることが前提とされるわけである。ところで国立学校の教員については、勤務時間の割りふりを校長が適宜に行うことになっているため、その勤務の態様が区々であるばかりでなく、学校外で勤務する場合等については、校長が監督することが実際上困難であるので、入学試験事務、学位論文審査等の場合を除いては原則として超過勤務を命じないこととしている。そして、実際にある一日について八時間以上勤務する必要がある場合には、他の日においてこれを調整し一週間の勤務時間が四四時間をこえないように割りふるこことされている(昭和二四年三月一九日付発学第一六号 教員の超過勤務について)。
 このことは公立学校の教員についても同様である。したがって、教員には原則として超過勤務を命じないことになっており、市町村立学校職員給与負担法や義務教育費国庫負担法でも教員については、それぞれ都道府県負担または国庫負担の経費からこの手当を除いている。つまり現在教員には、超過勤務手当は支給されていないのである。このような制度の運用については色々と意見のあるところであろう。しかし、前述のような教員の職務の特殊性から教員については、この手当の制度そのものになじまない面があるのではないかと考えられる。昭和三九年の人事院の給与に関する報告の中でも特に取り上げ「この問題は、教員の勤務時間についての現行制度が適当であるかどうかの根本にもつながる事柄であることに顧み、関係諸制度改正の要否については、この点をも考慮しつつ、さらに慎重に検討する必要がある」ことを指摘し問題の解決を今後の検討にゆだねている。なお、解決の方法の一私案としては、教員の職務の特殊性からみて超過勤務制度が、教員にはなじまないならば、むしろ超過勤務手当に代えてそれに見合う一定率の調整額を支給することを考慮すべきではなかろうか。それにしてもそれ以前に教員の勤務の実態が明らかにされなければならないであろう。(66~67頁)

 「職階制との関係」の記述は、職務と責任に応ずる給与制度とすべく8等級制への抜本的改正が行われてから10年も経っていない頃のことではあるが、職務給という建前を前面に出した説明ではなく、生活給的要素や年功的要素が色濃い給与制度であるとの認識を示しているところが面白い。また、「超過勤務手当」の記述は、昭和41年度の「教員の勤務状況実態調査」の実施直前の時期であり、後に人事院が勧告する教職調整額制度の萌芽のような私見が開陳されている。
 いずれも、教員の給与制度を取り巻く当時の雰囲気をよく伝えている。

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371.古書散歩(その11)=『学校教育法解説』 [24.古書散歩]

 後に文部大臣となった内藤誉三郎が文部省学校教育局庶務課長時代に著した『学校教育法解説 附教育基本法、学校教育法、同施行規則』という本がある。昭和22年8月5日に「ひかり出版社」から発行されている。
 本書の「序」で、当時の文部大臣である高橋誠一郎は、著者を「内藤君は学校教育法案の作製並びに通過の為に文字通り不眠不休の努力を続けた人である」と紹介している。
 著者の「緒言」を読むと、日本国憲法制定後の新しい日本の学制が6・3・3・4に決定され、この方向に向かって、それまで複雑煩瑣な内容であった文部法令を全部廃止して新しい法律にまとめ上げようと大変な努力をした様子が描かれている。そして、順次読み進めていくと、学校教育を取り巻く当時の状況を踏まえて、色々と悩みながら条文を作り上げていったことが分かる。

 教職員の設置に係る規定「第二十八条」の解説を引用する。(69頁)

 第二十八条は小学校の職員について規定したものである。国民学校令第十五条と異なり注目しなければならない点は事務職員を規定したことである。国民学校において、教員が学校に関する庶務に忙殺されて、その担当する教育の成果を充分に挙げ得なかつたような実情に対処するため、特に事務に従事する職員を置こうとしたのである。しかし、予算上の措置も考慮して、第二十八条第一項但書の規定を置いたのである。
 次に教員の名称を小学校、中学校、高等学校及び幼稚園を通じて、教諭及び助教諭に統一した。名称の相違が身分の尊卑を表す様な従来の観念を一掃するためである。国立及び公立の小学校については国民学校と異なり、職名が設けられた訳である。教諭には有資格者が、助教諭には然らざるものが充てられるのであるから当分の間教諭には文部教官又は地方教官が補せられ、助教諭には従来の国民学校本科又は初等科教員免許状を有する者及び助教が任命されることになろう。養護教諭は第百三条によつて、当分の間これを置かなくてもよいことになつている。これは国民学校令附則昭和十八年勅令第六百三十五号第二項に対応するものである。第二十八条第二項の「その他必要な職員」とは講師、学校医、看護婦等を想像している。

 この間、文部科学省は教員の多忙化に対する対策を講じるべく努力をしてきた。そして、今、「チーム学校」と銘打って予算要求し、事務職員をはじめ教員以外の専門職員の増員を目指している。
 引用した文章からは、戦後、新しい学制に基づく教育を推進するに当たって教員の多忙対策が課題となっており、その対策として、教員以外の専門職員としての事務職員の設置を求めたことが分かる。現代の「チーム学校」につながる発想は、学校教育法制定時に既にその芽を膨らませていたのであった。

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296. 古書散歩(その10)=『職階制と人事行政』(2) [24.古書散歩]

 弥富賢之著『職階制と人事行政』については、この学習ノートにとって「極めて貴重な内容」と紹介しておきながら、具体的な内容まで紹介していなかった。全部をここに掲載することはむろん不可能であるが、その一端ぐらいは紹介しておこう。

 従来人事院で試みられてきた方法は、上記独身青年男子一人当りの標準生計費と、民間給与調査から得られる一四級六号(局長級)相当額との二点を、等比級数曲線で結んで、俸給曲線をうる方法であったが、職階制に基づく職務分析が次第に進に従って、職級(等級)ごとに民間給与額を調査して、これを補正する方向に進みつつある。
 今回の人事院の給与ベース勧告によれば、二級三号、四、二○○円、一四級六号、三八、○○○円(何れも現行の職務の級による)となっているが、これらが果たして給与準則で、いかにとり入れられる調整されるかは不明であるので、ここでは民間給与調査を主体とし、若干を「人事院が決定した適当な事情」で補正することによって、次のような俸給表決定の基本的要素を得たものと仮定して論を進めることとする。
〔想定〕
 (1)等級数 八等級
 (2)Ⅷ等級1号  四、○○○円 Ⅰ等級1号 三○、○○○円 と仮定する。
 (3)各等級間の標準在級年数 四・五~六年
 各等級間の級間隔は、職務の複雑と責任の程度の差、現実には等級の平均的な資格要件の差として認識され、通常これは昇任のために必要とされる平均的な在級年数とされる。
 以上の想定によって指数曲線を描き、各等級別の初号を決定することができる。(第四図参照)

 この考え方については、186.古書散歩(その1)で紹介した滝本忠男著『公務員給与創設』でも説明されている。

 俸給表の作成には種々の方法がある。これは俸給表の作成とも密接な関係のある問題である。現行の或いは最近勧告した俸給表についてその作成方法を説明すれば、先ずマーケット・バスケットより成年単身男子の標準生計費を定め之に所要の公課を附加して勤務地手当非支給地に於ける俸給額を定める。これを何号俸と定めるかは別の研究による。即ち、統計的に成年単身男子が何号俸に相当するかを定める。この際、民間に於ける同程度の職務の給与と均衡を図ることを併せて考えるべきである。
 別に最高号俸に相当する俸給額を民間給与調査より求める。ところがかかる上位の級の給与の巾は相当に広く、従つてその幅は相当に広く、従つてその幅の中のどの額を用いるかは相当の問題である。この問題は、また政府の給与政策と密接に関係する処である。
 かくして得た上下二点を等比級数により結ぶ。

 この考え方は現在も受け継がれているのだろうか…。
 便宜、11級制に移行した昭和60年改定俸給表と給与構造改革後の平成18年改定俸給表により確かめてみる。
 各級の初号の金額を級別に1級から11級又は10級まで順番に並べてみると、少々いびつだが指数曲線に近い関係になっていると見える。ちなみに、この金額を級別資格基準である経験年数により置き換えてみる。すると、指数曲線にほぼぴったり一致する曲線を描いていることがわかるのである。

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294.古書散歩(その9)=『職階制と人事行政』 [24.古書散歩]

 昭和27年6月に教育資料社から発行された本書の著者は、人事院給与局職階部格付課長の弥富賢之である。後に弥富氏は本田技研工業に迎えられ、1960年に賃金管理研究所を設立し、いわゆる弥富式のシンプルな賃金制度を民間企業に広めたことについては、以前にもこのノートで紹介した。(258.読書=『正しい賃金の決め方』)

 弥富氏は、「はしがき」で次のように述べる。

 「職階制のない所に新しい人事行政はあり得ない」とは有名な行政学者ホワイト氏の言葉であるが、わが国においても国家公務員の職階制はすでに完成の段階にあり、地方公務員の職階制も着々親展しつつあって、職階制に対する関心は、官界といわず民間といわずいよいよ深まりつつあることは誠に喜ばしいことである。
 職階制が如何に運営されるかは、わが国の民主主義発展の成否を決定するものにほかならない。そしていまや、国家公務員の職階制は、制定の段階から実施の段階に入ってきたわけであるが、本書は職階制の立場から人事管理の問題をとり上げてとりまとめたものである。

 職階制を批判する側が主張する職階制のイメージは、労働者を分断・支配する手段であるかのごとくであるが、当時の人事院の理解は、「職階制が如何に運営されるかは、わが国の民主主義発展の成否を決定するものにほかならない」との言葉に象徴されるように、日本の公務員制度民主化に不可欠の制度との理解であったのである。

 本書の守備範囲は人事管理全般に及ぶのだが、この学習ノートにとって特に注目すべきは、給与思想の転換、給与制度の簡素化と合理化、職階制の給与制度への適用、俸給表の基本構造などについて解説する部分である。これを読めば、当時、人事院が国家公務員法に規定する職務給の原則を実現すべく、どのような思想をもって俸給制度を構想したのかをうかがい知ることができる。最近の人事院は自らの商売道具をオープンにすることがなくなったことを思うと、極めて貴重な内容が示されている。

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208.古書散歩(その8)=『人事院月報(1957)』 [24.古書散歩]

 『人事院月報』は、言うまでもないことだが、人事院から毎月発行されている。最近のものは、よく言えば洗練された内容であるが、逆にあっさりしすぎていて、少々面白みに欠けるように思う。それに比べると、昔の月報の方には、著名な行政学者が寄稿していたりして、はるかに読み応えがある。

 例えば、8等級制が成立した昭和32年の月報を見ると、4月には、日本の行政学の先駆者である蝋山政道が「人事行政の望むもの」と題した巻頭論文を寄せているし、5月には、後に人事官になる元法制局長官である佐藤達夫の「憲法回想-公務員に関する規定あれこれ」と題した論文が掲載されている。また、佐藤論文の次には、「米国における連邦公務員制度」が収録され、給与制度の項では、「枠外昇給」の存在が紹介されている。年功的な日本の給与制度の象徴の一つとして取り上げられてきた「枠外昇給」は、意外にも当時のアメリカにもあった制度なのである。
 更に、同じ5月には、高等学校以下の教員について行われた「高学歴教育職員の俸給の調整-指令9-7とその運用方針-」が掲載されている。これは、「学歴における修学年数一年の差を教員経歴一年半の差とみて、これまでの一対一を一対一・五に改めることにより、短大卒を基準とした場合、新大卒については一号俸、旧大卒については二号俸高くするというものであった。」(佐藤三樹太郎『教職員の給与』29頁)
 また、9月には、「俸給の調整額を改正」と題して、従来の号俸制から定率制への改正内容を解説している。このとき、盲学校およびろう学校の教員については、改正前の細則9-8-2(初任給、昇格、昇給等の実施細則)の規定によって必要経験年数を1年ずつ短縮さてれていたが、当該規定が廃止されたため、旧1号俸に相当するものを新たに調整額に加算することとされたようである。その結果、国立大学附属の盲学校及びろう学校において、教育に直接従事することを本務とする職員には、調整数2が適用されることとなったのである。
 11月には、「日本官僚制の研究」等の著者である辻清明が「“人事行政の本旨”とはなにか」と題した論文を寄稿している。
 いずれにしても、時代を感じる内容である。

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207.古書散歩(その7)=『教育職員級別格付實施要項』 [24.古書散歩]

 『教育職員級別格付實施要項』というA5判の小冊子がある。昭和23年1月から15級制による給与制度が実施されたのであるが、この冊子を読んでいくと、「実施の時期」として、「昭和25年12月末日付をもって実施する」との記載があるので、その頃のものなのだろう。
 この冊子には、発行者の名前が記されていない。内容を見てみると、「また実施にあたっては、特に本通牒の解釈の区々にわたらないよう細部にわたり、人事院と打合せのうえ慎重に取り扱われたい」とあるので、人事院が発行したのであろうか…。(この冊子の内容については、昭和26年3月31日の人事院規則9-8-2(初任給、昇格、昇給等の実施細則)に盛り込まれていることから、間違いはないのではないかと思うが…)

 まず、表紙を開け、もう一枚紙をめくると「級別区分基準表」がある。縦に4級から15級が区分されており、横に学校種別が記載されている。この学校種別は、「中学校、小学校、幼稚園」、「高等学校」、「盲学校、ろう学校、養護学校」、「大学」となっている。現在で言えば、旧教(三)、旧教(二)、旧教(二)のうち俸給の調整額適用対象、旧教(一)ということになる。一部を抜粋してみよう。
 <級別区分基準表>
          高校      小中
  助教諭   4級~9級   4級~8級
  講師    7級~10級  4級~9級
  教諭    7級~12級  4級~12級
  校長    8級~13級  7級~13級
  養護教諭 4級~11級  4級~11級
  寮母    4級~8級   4級~8級

 養護教諭よりも教諭の方が1級高くなっているのは、教頭の存在を前提にしてのことだろうと推測できる。
次に、比較のために、行(一)の級別区分基準を掲載しておく。
 <行(一)の級別区分基準>
  4級  事務員補助
  5級  事務員
  6級  事務員
  7級  係長・事務員
  8級  係長
  9級  課長補佐、係長
  10級 課長補佐
  11級 課長、課長補佐
  12級 部・課長
  13級 局長

 さて、これをどう読んでいくべきか…。
 詳しくは書けないが、例えば、課長補佐の行(一)9級~11級は、その後の切替をたどっていくと現行では4級~7級に相当するのだが、現行の本省の課長補佐が5級~6級であることを考えると、後に課長と課長補佐の間に室長というポジションができたことを踏まえても、現行取扱いよりも1級高い職務の級にわたっていたと思われる。
 教育職員について見てみると、例えば、大学卒の教諭(教頭を除く。)及び養護教諭は6級~11級であるから、現行の行(一)でいえば2級~7級となっている。現行教(二)(三)2級について考察してきた結果に拠れば、行(一)の旧2級(現行1級)~教(三)は旧7級(現行5級)・教(二)は旧8級(現行6級)であることと比較すれば、こちらの方も現行取扱いより1~2級高い職務の級にわたっていたと思われるのである。
 最高到達級に着目すれば、課長補佐も教諭も職務の級がワンランクダウンしており、それだけ当時の給与制度が年功的であった証拠と言えそうである。

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192.古書散歩(その6)=『新俸給制度詳解』 [24.古書散歩]

 俸給表の構造を考える上で、いくつかポイントがある。初任給の号俸を含んでいる職務の級の初号が初任給の号俸であることは、採用試験とセットで考えると比較的理解しやすい。現在の制度で言えば、例えば、国家公務員採用I種試験の対象となる官職は、「行政職俸給表(一)の職務の級二級の官職」などの官職とされており(人事院規則八―八(採用試験))、I種試験合格者の初任給については、行(一)2級1号俸と定められている訳である。
 では、その2級1号俸の1級に対する位置関係はどのようにして決まるのだろうか。また、現行3級以上の初号の位置はどのようにして定めたのであろうか。これまでの考察で、級別資格基準が関係していることは分かってきた。平成2年に初任給基準か改善される前は、級別資格基準のラインと大学卒又は高校卒でみた場合の各職務の級の初号の位置とはぴったり一致している。
 このあたりの事情を説明している書物がある。15級制から8等級制に移行した際に出版された、『新俸給制度詳解』(著者/瀧本忠男・慶徳庄意・船後正道、学陽書房、昭和32年発行)である。この学習ノートにとって大切な部分なので、次に少し引用しておこう。

 「従つて、等級別資格基準表に定められている資格要件は、新給与制度の運用上の必然性から生まれて来るものであるから、その内容は、当然にそれぞれの俸給表の作成理念とその構造及び従来の給与制度の運用との関連から導き出されたものであるということができる。/この関連を、行政職俸給表(一)の等級別資格基準表に例をとつて次に述べてみる。/行政職俸給表(一)においては、一等級を次官、長官、二等級を本省の局長、部長、三等級を本省の課長、四等級を本省の課長補佐、五等級を本省の係長、六等級を地方の係長、七等級を上級係員、八等級を初級係員といつたように、標準的に各級に格付けられる最も基本的な職務を考え、それらの行政組織上の位置、任用の実態、従前の給与の運用等を参照として俸給表が作成されている。従つて、等級別資格基準表は、その俸給表の構造から作成されることとなり、俸給表と等級別資格基準表とは表裏一体をなしている。すなわち、等級別資格基準表を想定しつつ、俸給表が作られ、その俸給表の運用の手段として等級別資格基準表が作られたのである。/その関係は、次の表のとおりとなる。」

 引用文でいう「次の表」は、このノートでは省略するが、その表には「一等級下位の初号からその等級の初号に達するまでの昇給期間」と「等級別資格基準表の年数」との関係が示されている。ずれている部分の注意書きもある。
 この書によって、これまでの考察内容が間違ってはいなかったと確認できたと言ってよいであろう。

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191.古書散歩(その5)=『改正教職員給与の解説』 [24.古書散歩]

 教職員給与制度の歴史的変遷とその特徴をすべて理解するのは、一般の公務員とは違った取扱いも多いために、なかなか難しい面があるだろう。そのような悩みに応えてくれる学習書がある。何をもって「古書」と呼ぶのかは別にして、昭和61年11月に学事出版から発行された「学校事務、11月臨時増刊『改正教職員給与の解説』」である。著者は、横山英一(日教組組織部長=当時)と平沢保人(日教組生活部長=当時)で、巻頭に、森信夫元人事院給与局給与第一課長が「推せんの言葉」を寄せている。

 第Ⅰ編「序論」では「教職員のくらしの状況」を取り上げているが、この学習ノートの観点から注目すべきは、次の第Ⅱ編「教職員給与制度の変遷」である。ここでは、「天皇の官吏」であった戦前の給与制度から説き起こし、戦後の給与制度が確立していく様子を、俸給表の変遷を中心に、官吏俸給時代、三本建給与、8等級制=「職階・職務給」制度の創設を説明している。そして、給特法と人確法の成立過程と内容を説明した後、11級制への見直しに及んでいる。
 日教組の役員が書いたものだけに、文部省との文書確認事項や口頭確認の内容が掲載されていたり、人確法に基づく特別改善の効果について、文部省の公式見解とは違った分析結果を述べていたりして、なかなか興味深いものがある。


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189.古書散歩(その4)=『教職員の給与』 [24.古書散歩]

 前回、高等学校等の教諭の給料と小中学校等の教諭の給料とでは、最高到達級が違うことを取り上げたが、別の観点から、両者の水準差を説明している本がある。それは、この学習ノートで、「バイブル」の一つとして紹介した初版が昭和38年4月発行の佐藤三樹太郎著『教職員の給与』(学陽書房、昭和52年新版2刷)である。
 詳しくは、直に読んでいただくとして、ここでは、別の観点から「給与格差の波紋」と題して論じている部分を紹介しておこう。
 まず、昭和32年の高等学校職員俸給表と中小学校職員俸給表とについて、同資格同年次の新大卒の教諭の場合、一定年数後において、どのように開いていくか、標準的な号俸を想定して説明している。
 <昭和32年>
      初年   5年後  10年後  20年後  25年後
高 校  9,800  14,800  19,800  30,600  37,800
中 小  9,800  14,300  19,300  30,000  36,000
給与差   -     500    500    600   1,800
 次に20年後の昭和48年改正の俸給表上での想定を掲載している。
 <昭和48年>
       初年   5年後  10年後   20年後   25年後
高 校  58,100  72,100  87,900  125,900  144,600
中 小  58,100  71,600  86,900  121,100  133,900
給与差   -      500   1,000    4,800    10,700
 このような変化に対して、双方の教職員の間で、異なった主張があることを紹介して、次のように述べている。
「しかし、この問題は複雑である。とくに等級別俸給表が制定されてからは、この職域差の問題は、新たに職階差的な要素がからみあうこととなり、一層微妙な性格をおびることとなってきた感がある。」

 さて、この両者の給与差は、更に35年が経過した現在ではどうなっているのだろうか。全人連平成20年モデルによる俸給制度表によって確認した額を記しておく。
 <平成20年>
      初年   5年後   10年後  15年後  20年後  25年後
高 校 192,800 232,800 286,600 334,700 375,200 402,600
中 小 192,800 232,800 286,600 334,700 370,400 392,200
給与差   -     -     -     -     4,800  10,400
 これを見ると、両者の関係が大きく様変わりしていることが分かるが、これは、人材確保法に基づく給与改善が行われた際に、両者の関係が見直されたことが、影響しているのは明らかだろう。

 そのほかにも、本書は、教員給与の沿革の理解のみならず、行政職を含む給与制度の詳細設計の理解に役立つ内容がたくさんある。

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