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385.古書散歩(その14)=『教職員の給与制度詳説』 [24.古書散歩]

 三本建給与になった経緯については、佐藤三樹太郎『教職員の給与(新版)』(学陽書房)の32~37頁に「どうして三本建給与となったか」と題して、もう少し詳しく解説されている。それ以上に詳しく、当時の雰囲気をよく説明している書籍がある。大沼淳『教職員の給与制度詳説』(帝国地方行政学会、昭和32年)である。
 大沼氏は、元人事院の官僚で、「はじめに」によれば、「私がこの教育職員の給与問題に関係をもつようになつてから七年余りを経過している。」とある。当時の人事院給与局長滝本忠男が序を寄せている。
 本書は、第一編 教育職員給与制度概説、第二編 教育職員新給与制度の解説、第三編 公立学校職員の給与となっている。このうち「第三編については、文部省初中局財務課補佐官の佐藤三樹太郎氏に、公立学校の給与問題を中心に地方財政との関連を混えて全面的に執筆していただいたもの」とされている。

第一編の第二章 教育職員給与制度の沿革から抜粋する。

二 三本建給与制度の制定経緯
 教育職員の給与問題に関して、教職員組合、教育関係者がどのような主張をなして来たかは既に述べてきたことであるが、人事院か給与準則を制定するための研究を昭和二十七年より開始し、その研究の一端としての教育職員俸給表の制定をめぐり、再度教員給与制度の問題が再燃、教育関係者の最大関心事の一つとなり、その是非をめぐって論議も最高潮に達するが如き観を呈した。戦後のめまぐるしいばかりの給与制度の変遷は、国民生活の悪化と労働組合の台頭により、戦前の官吏の待遇の上厚下薄の傾向をすべて平均化の方向へと位置づけたが、徐々に社会が安定し、生活条件が改善されるに従い、これらの傾向に対する批判や不満も現れ、教員の給与制度もこの批判の対象として、大きくクローズアップされて来たわけである。
 即ち、全国高等学校校長会及び全日本高等学校教職員組合を中心とする高等学校関係者は、大学、高校以下各学校と二大別された現行給与制度下においては、現実に高校において生起している給与の陥没を救済し得ないものとして、大学、高校、中小校と三大別された給与体系にすべきであるとの主張をなすに及んで中小学校職員との間に意見の相違をみることとなった。
 中小学校教員を主体勢力とする日本教職員組合は、全力を挙げてこの三本建給与を阻止すべき体制を整えその運動は高等学校教員組合の運動と対立する結果となった。
 更にこの問題は、国会においても、自由、改進分由党等の保守政党及び左右両派社会党等の革新政党において、それぞれの立場から取り上げられ、その是非をめぐって検討されることとなり、遂に政治問題に発展するに至った。時の内閣は、勿論自由党内閣であり、岡野文相、次の大達文相も共に文部委員会等において三本建給与制度への意向を表明し、全高教組等の陳情もあり次第に保守政党内に、三本建給与制度是認空気が強くなったのである。
 第十六回特別国会が開催されるや自由党の総務会、同政策調査会及び改進党の政策調査会においてこれらの問題を取り上げ関係官庁、又は関係者の意見を再三にわたり聴取し、共に三本建給与制度にすべきことを決議し、政府又は人事院へもその意向が伝えられた。人事院においては、これら政党の動きとは別に教員の給与制度について研究を重ね、俸給表を大学、高校、中小校の三表としその実質内容を、大学、高校以下各学校の二区分とした給与制度を勧告した。これは、現在の文教制度において明確に三本建給与制度とすべき理由はみあたらないが、教員の免許資格の相違、職員構成の相違から、それぞれ職域差のあるなしに関係せずその実態に即応するよう俸給表の型式なり等級なり給与の巾なりを考えて作られたものであった。政府としては新しい給与制度が人事院において研究されている時でもあるし、その勧告の結果をみてからとの観点から比較的静観的であり、又人事院の給与準則の勧告がなされた後も、勧告が全面的に取り上げない限り教員の部分のみ準則案を取り上ぐることはできないという関係で、遂に三本建乳余生度は取り上げるところとはならなかった。
 又この特別国会において、丁度昭和二十八年の補正予算が提案され審議されていた。当時野党であった改進党は、政府提案の補正予算の修正案として、この三本建給与制度の実施に必要な予算として二億八千万円を提出、与党である自由党側も異論ある筈がなく補正予算として法律案提出以前に予算措置が成立したのである。
 かかる経緯の下に自由党においては、三本建給与制度を議員立法することに決定、法律案の作成に着手し、自由党の赤城宗徳議員(元文部政務次官、現農林大臣)を中心として坂田道太議員、田中好議員もその責任者となり、当時の人事委員会(委員長川島正次郎議員(現自由党幹事長))の自由党委員により法案の審議が進められることとなり、改進党(当時の中心者…田中久雄議員、椎熊三郎議員)との合同審議を再度開き、意見の調整を行い成案を急いだ。かくして教育職員給与制度を三本建とする給与法の一部改正法案が自由党、改進党、分自党の三党共同提案として国会の審議に附されることになった。その後衆議院人事委員会の審議を中心に審議が進められ、提案者である自由党の赤城議員が答弁者となり、与野党の論議、関係政府機関の意見が交わされ、更に文部委員会(委員長竹尾弐議員(元文部政務次官))との合同審議を含め数回にわたり開催、左右両派社会党の強硬な反対もあり審議は難行したが、会期延長もこのために行い、参議院の審議を経てしょうわ二十八年八月十八日この給与法の一部を改正する法律が成立し、ここに教員三本建給与制度が確立されたのである。(51~53頁)

 国会会議録を検索すると、昭和28年7月28日の衆議院人事・文部委員会連合審査会において、提案者赤城宗徳が趣旨説明をしている。

○川島委員長 これより人事委員会、文部委員会連合審査会を開会いたします。
 協議の決定に基きまして私が委員長の職務を行います。
 ただいまより一般職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律案について審査を行います。まず提案者の趣旨の説明を聴取いたします。赤城宗徳君。
○赤城委員 教職員の給与に関しましては、御承知の通り現在給与法におきまして一般俸給表によつて給与が決定されておるのでありますが、教育職員の特殊性にかんがみまして、一般俸給表からこれを分離いたしまして、紋別俸給表によつて教職員の給与を決定したいということが提案の趣旨の第一であります。そのようにいたしまして級別俸給表を三つつくりました。これは大学、高等学校あるいは中小学校等のそれぞれの職域に応じて、それに適当なる給与の俸給を立てた方がよかろうということで三本にいたしたわけであります。
 第一に、給与の額の決定でありますが、この提案しました俸給表のうち、四級から十一級までにはそれぞれ調整号俸が一号現在ついておりますので、一般俸給表の本俸に一号だけの調整号俸を加えた額をもつて、それぞれの俸給表の号俸の額といたしたのであります。これによりまして調整号俸として扱われておつたものが本俸に繰入れられることになりますので、中小学校、高等学校、大学を通じて名目上の優遇をはかるということが一つであります。
 次に、中小学校及び高等学校、大学を通じまして最高号俸を引延したのであります。中小学校におきましては、現在教諭の最高号俸は三万一千九百円で、通し号俸で言いますれば六十号でありまするが、これを三万五千九百円、通し号俸で大十三号まで延ばしたのであります。校長につきましては現在三万一千九百円、通し号俸で大十号のところを三万八千八百円、通し号俸で六十五号のところまで、中小学校につきまして延ばしたわけであります。高等学校におきましては、現在教諭の最高号俸が三万一千九百円、六十号でありまするところを、三万八千八百円、大十五号にまで延ばしたのであります。校長につきましては、三万一千九百円のところを四万三千三百円まで、六十八号まで延ばしたのであります。大学におきましては、教授の点におきまして四万六千三百円は、七十号で現在と同じでありますが、時に大学院を置く学校等におきましては、国際的にりつぱな教授もおるというような関係から、これを五万一千二百円、七十三号まで延ばしたのであります。
 第三には、職域の差を認めるというような関係から、中小学校と高等学校との間に最高号俸の点で差異をつくつたばかりではなく、提案しました級号のうち、四級――現在は七級になつておりますが、四級から八級、現在の十一級まで一号俸づつ上げてあるのであります。また大学におきましては、高等学校で四級から八級まで上げてあります上に、九級より十級まで一号をさらに上げて、各学校等の特色を織込んだ給与の体系をつくつて御提案申し上げた次第でございます。
 なお附則におきましてこの切りかえに必要なるそれぞれの措置を講じて、現在受けておる給与よりも低くならざるように、不利な立場に立たないような措置を、切りかえにあたつてするように附則においてきめておる次第でございます。
 以上提案の理由を御説明申し上げましたが、何とぞ御審議の上、すみやかに、御可決願いますれば幸いに存じます。

 なお、教員三本建給与制度成立後の昭和29年8月23日、中教審は「義務教育学校教員給与に関する答申」を文部大臣に提出している。この答申は、いわゆる富裕府県と貧弱府県との間において給与の不均衡が生じていることなどの問題に関して審議し、教員給与にかかわる対策についての考え方を取りまとめたものである。そして、この答申には、教員三本建給与制度にかかわる付言が述べられている。

(付)給与三本建について
 いわゆる給与三本建の問題は、本委員会が設置された当時から、世間の問題となっていたこととて、当初この点から検討を加えて行ったのであるが、終局において本答申案の対策の1で述べているように、教員給与制度の再検討は教員としての職務の特殊性をはっきりつかむことが前提であり、それが明らかになれば教員としての職階もおのずからきめられるであろうし、またこれらの検討過程において、必要があれば三本建の問題にも触れることになるであろう。それゆえ他の問題と切離してひとり三本建だけを取り上げてその是非を論ずることは不可であり、それは教員給与制度全体の問題の検討の中に含まれるものであるという考えに落ちつき、さらに本答申案は、教員の中の義務教育学校教員の給与について論じた等の点から、直接現行三本建給与の是非に関する意見は、本特別委員会の結論としては触れないことにした次第である。

 この結論では肩すかしをくらったようで、当時もきっと期待外れであったのではないだろうか…。

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