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373.古書散歩(その12)=『教員給与の話』 [24.古書散歩]

 加除式の法規集をはじめ、各種の例規集や行政関係図書を刊行している株式会社ぎょうせいのホームページでその会社概要を見ると、「1893年(明治26年)、京都に「帝国地方行政学会」として誕生し、地方行政の研究誌「地方行政」の出版を始めました。」とある。株式会社として新たに発足するのは1974年(昭和49年)とのことであるが、その10年前、昭和39年から、帝国地方行政学会は校長、教頭、指導主事等向けの教育百科選書として、B6判サイズの『学校選書』を刊行している。
 第3回配本の中に『教員給与の話』(昭和41年6月25日発行)がある。著者は、文化庁長官を務めた文部官僚、安達健二である。当然ながら、内容は専門的なものではなく、平易な解説が中心となっている。
 「はしがきに」よれば、「わたくしは、昭和三十七年から二年半にわたって文部省大臣官房の人事課長に在任したのであるが、その間教員の給与改善については毎年の人事院勧告に先立っての教員給与改善についての人事院への申し入れと折衝、三本建て給与体系の問題、大学院担当教官に対する俸給の調整額の支給、国立七大学総長認証官法案の立案など思い出は多い。」とある。

 本書の記述をいくつか拾ってみる。

四 職階制との関係
 (略)
 ところで、たとえば小・中学校の教諭の俸給の例をとってみれば、初号俸一八、七○○円から三八号俸七三、六○○円までにわたっている。大学卒の場合であれば、その初任給は四号俸二三、○○○円で、教諭として普通の成績またはそれ以上の成績で勤務するならば(特に不良な成績でない限り)、毎年定期昇給していき、三五年にわたりうるのである。このように同じ職務に従事しながら、それに対する反対給付額が、最低と最高とで四倍以上にもなっていることは、純粋な職務給という考え方からすれば、ぴったりしないものともいえよう。また、なまけ者も熱心な者も給与上はほとんど差が生じないという現行制度には何か割り切れない感があるであろう。-特別昇給という制度があるにはあるが、公立学校ではあまり行われていない。-こうした点では、現行給与制度は多分に生活給的要素を含んでいるのである。またこの要素は後述の昇給制度でみるように、現行の給与が学歴と経験年数によりほとんど決定されるという、いわゆる年功序列型給与にもつながるわけである。なお、このような制度は、学歴と経験年数とによって、職務遂行の能力を図ることができるという仮定に立っているものといえよう。(7~8頁)

七 超過勤務手当(給与法第一六条)
 (略)
 しかし、この手当を支給しうるには、一 正規の勤務時間を越えた勤務であること、二 上司から命令された勤務であること、三 職員が実際に勤務したものであること、のいずれの要件をも満たすことが必要である。それには、勤務時間の管理が厳密に行われることが前提とされるわけである。ところで国立学校の教員については、勤務時間の割りふりを校長が適宜に行うことになっているため、その勤務の態様が区々であるばかりでなく、学校外で勤務する場合等については、校長が監督することが実際上困難であるので、入学試験事務、学位論文審査等の場合を除いては原則として超過勤務を命じないこととしている。そして、実際にある一日について八時間以上勤務する必要がある場合には、他の日においてこれを調整し一週間の勤務時間が四四時間をこえないように割りふるこことされている(昭和二四年三月一九日付発学第一六号 教員の超過勤務について)。
 このことは公立学校の教員についても同様である。したがって、教員には原則として超過勤務を命じないことになっており、市町村立学校職員給与負担法や義務教育費国庫負担法でも教員については、それぞれ都道府県負担または国庫負担の経費からこの手当を除いている。つまり現在教員には、超過勤務手当は支給されていないのである。このような制度の運用については色々と意見のあるところであろう。しかし、前述のような教員の職務の特殊性から教員については、この手当の制度そのものになじまない面があるのではないかと考えられる。昭和三九年の人事院の給与に関する報告の中でも特に取り上げ「この問題は、教員の勤務時間についての現行制度が適当であるかどうかの根本にもつながる事柄であることに顧み、関係諸制度改正の要否については、この点をも考慮しつつ、さらに慎重に検討する必要がある」ことを指摘し問題の解決を今後の検討にゆだねている。なお、解決の方法の一私案としては、教員の職務の特殊性からみて超過勤務制度が、教員にはなじまないならば、むしろ超過勤務手当に代えてそれに見合う一定率の調整額を支給することを考慮すべきではなかろうか。それにしてもそれ以前に教員の勤務の実態が明らかにされなければならないであろう。(66~67頁)

 「職階制との関係」の記述は、職務と責任に応ずる給与制度とすべく8等級制への抜本的改正が行われてから10年も経っていない頃のことではあるが、職務給という建前を前面に出した説明ではなく、生活給的要素や年功的要素が色濃い給与制度であるとの認識を示しているところが面白い。また、「超過勤務手当」の記述は、昭和41年度の「教員の勤務状況実態調査」の実施直前の時期であり、後に人事院が勧告する教職調整額制度の萌芽のような私見が開陳されている。
 いずれも、教員の給与制度を取り巻く当時の雰囲気をよく伝えている。

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