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225.トピック=教職調整額WG(第10回)議事録の違和感 [8.トピック]

 先頃、中央教育審議会初等中等教育分科会「学校・教職員の在り方及び教職調整額の見直し等に関する作業部会(第10回)」の議事録が公表された。5月25日に開催されてから4箇月以上を経過し、ようやく公表された。総務省の研究会などは、ほとんど翌日に公表されていることと比べると、遅きに失する感がするし、それだけ発信力が弱いように思うのであるが、この点は脇に置いておこう。

 このWGについては、この第10回までは精力的に議論してきたのだが、審議のまとめは公表されていない。どうも、「意見集約ができない」ということらしいのだが、もしかすると、政権交代という政治状況を睨んでのことかもしれない。

 さて、第10回の注目点は、「教職調整額を時間外勤務手当化した場合における各論点に関する主なご意見」と題したペーパを基に、各委員が意見を述べている内容である。詳細は、文部科学省のHPを見ていただくべきであるが、議論の前提が縛られているために、結論が先にあるかのような印象を受けてしまう。同時に、違和感を覚えるのである。

 この問題の議論を始めた根本的な動機は、小泉構造改革の下、総人件費改革を求める行革推進法が制定されたことにある。そして、骨太の方針2006に盛り込まれる目標数値の基となった財務省と文部科学省との合意事項によって教員給与優遇措置の縮減を方向付ける財政的な縛りが掛けられた。
 これに対して、文部科学省は、教員の勤務実態を調査し、その結果を踏まえて、中教審答申「今後の教員給与の在り方について」において、「教職調整額の制度と実態の乖離が進んでいる」ことを指摘し、教職調整額の時間外勤務手当化を含む議論を進めてきたのであった。

 この時間外勤務手当化の議論には、二つの意図があるように感じる。一つは、教員給与の縮減が避けられない情勢の下では、教員に対する給与処遇の目減りを少しでも抑えるためには、メリハリを主張せざるを得ず、時間外手当化によって財源を確保しようとしているのではないかという意図。二つには、教職調整額制度の下での月34時間の超過勤務の実態を改善し、超過勤務を縮減するためには、時間外勤務手当制度を導入し、コスト意識を持たせることが有効であると信じ、同制度を導入しようという意図を感じるのである。
 一つ目の議論は、気持ちは理解できなくもないが、制度論としては論外のように思う。二つ目の議論については、教職調整額制度では時間外勤務に歯止めがかかっていないという制度理念と実態との乖離を踏まえているとは思うのだが、時間外勤務手当制度を導入することだけでは、教員の超過勤務を生み出している根本原因を取り除くことにはならないのではないか、根本原因を取り除くことが不十分なまま拙速に時間外勤務手当制度を導入してもサービス残業化するだけではないのか、という印象を受けるのである。つまり、どうも議論が逆のような気がして、違和感を覚えるのである。

 教職調整額については、「教員の時間外勤務が社会的な問題となる中、昭和46年5月に、教員の職務は自発性・創造性に期待する面が大きく、一般の公務員と同様な時間管理を行うことは必ずしも適当ではなく、とりわけ時間外勤務手当は教員になじまないとの考えの下、教員の職務と勤務態様の特殊性を踏まえ、『国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法』が制定された」(中教審答申)のであった。
 一方、時間外勤務手当については、使用者から時間外に強制的に特定の業務をすることを命じられたと評価できるような場合、すなわち、職員の自由意思を強く拘束するような状況下で勤務時間外に業務に従事した場合に支給されるものである。
 このように両制度を比較すると、そもそも教員の職務の在り方をどのように考えるのか、教員の職務と勤務態様の特殊性を認めるのかどうか、という問題に突き当たらざるを得ないと思う。「教員の職務は自発視得・創造性に期待する面が大きい」という給特法の予定している教員観に立つならば、時間外勤務手当制度はあり得ないし、ありうるとすれば、みなし裁量労働制ではないかと思う。

 仮に、教員の職務が学習指導のみであったとしたならば、学習塾などの講師と同じ考えでもよいであろう。少なくとも、公立義務教育諸学校の教員については、学習指導だけでなく、生徒指導を主要な職務の分野として行っている。学校生活を通じて、様々な生活指導を行い、進路指導を行い、非行防止のための生徒指導、更に部活動の指導を行っているのである。ここで教育論を述べるつもりはないが、生徒指導分野については、厳格な勤務時間管理にはなじまないように思うのである。
 特に、部活動指導については、そもそも正規の勤務時間内に収まるようなものではないだろうし、個人的な経験からすれば、部活動は、本来は生徒の自主的な活動であって、その教育的意義を認めて、学校が責任をとる体制の下に実施をしているものではないかと思う。そのような生徒の自主的な活動に対して、教員に時間外勤務手当制度を導入する観点から、何か時間的な制限が加えられるような教育論ぬきの議論にも違和感を覚えてしまう。
 また、部活動への外部の指導者を招聘する施策が講じられていることでも分かるように、部活動の指導には教育職員免許状の保有は必要なく、教員が指導者にならなければならないものでもない。もちろん、教員が顧問を命じられれば、部活動指導が職務になることは言うまでもないし、それを否定はしない。

 教職調整額WGでの各委員の意見には、様々なものがあることは確かだが、「教職調整額を時間外勤務手当化する」ことを前提にした議論は、あまりにも拙速であるし、避けた方がよいように思う。やはり、教育の営みとは何か、教員の職務とは何か、教員の勤務態様の特殊性はどのようなものなのか、といった観点を踏まえた議論を進めるべきではないのだろうかと思うのだが…。

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