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188.古書散歩(その3)=『教員の資格・給与・恩給詳解』 [24.古書散歩]

 昭和28年8月、当時の自由党、改進党、分派自由党の議員による共同提案によって、給与法の一部か改正され、いわゆる教員給与の三本建てが昭和29年1月からスタートした。
 その2年後、昭和31年6月に出版された教員の給与に関する本がある。文部省社会教育局長内藤誉三郎編になる『教員の資格・給与・恩給詳解』(金子書房)である。内藤誉三郎は、勤務評定を推進した初等中等教育局長で、後に事務次官、文部大臣に就任した人である。
 この本の序文によれば、「本書は、教育界多年の懸案であった教員の待遇の全貌を明らかに」するもので、「教員の側から知りたい事項を理論と実際の面から解説したものである」。このノートの関心からすれば、「詳解」とは銘打つものの、教員を主たる対象としたものであるから、やはり、若干の物足りなさを感じる。ただ、当時の高等学校等教育職員級別俸給表と中学校・小学校等教育職員級別俸給表、更に、それぞれの級別資格基準表が掲載されている。この時に制度的に設けられた給与上の差が、昭和49年の人材確保法制定によって修正が加えられるまで継続することとなる給与上の差のスタートとなるのである。
 では、その給与上の差を確認してみよう。まず、級別資格基準表によって、新制大学卒の教諭の必要経験年数を見てみる。
          3級  4級  5級  6級  7級  8級  9級  10級
 高等学校等  0年  2年  6年  10年  15年  20年  25年  31年
 中小学校等  0年  2年  6年  10年  15年  20年  26年
 最終到達級に1級の差があることについては、後で取り上げる。少なくとも、3級から8級までの級別資格基準はピッタリ一致していることが分かればよい。
 次に、級別俸給表を確認してみる。高等学校等の級別俸給表の級は11級まで用意されており、中学校・小学校等のそれは10級までとなっているが、それもここでは取り上げないでおくが、注目すべきは、1級から3級までの俸給はまったく同額なのに、4級から9級までは1号俸高い号俸となっていることである。(当時、これらの級に在級していた高等学校の現職者は一斉1号俸昇給となったようである。)
 今度は、最終到達級に着目してみる。そのために、一般俸給表との比較が必要になるが、教員には不要となっていた1級から3級までを差し引けばよいことになる。すなわち、一般俸給表の4級=教育職員俸給表の1級ということである。
 そうすると、新制大学卒の教諭は次のようになる。
 高等学校等  3級  4級  5級  6級  7級  8級  9級  10級
 中小学校等  3級  4級  5級  6級  7級  8級  9級
 一般俸給表  6級  7級  8級  9級  10級  11級  12級  13級
 行政職における11級は、課長・課長補佐、12級は、部長・課長、13級は、局長・部長だから、教諭のうちから教頭が命ぜられていたことを考慮しても、相当に高い格付けであったことが分かる。しかし、8等級制に移行した後には、最高到達級は下がってしまう。この時代の優位性は、いつの間に目減りしてしまったのだろうか…。

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