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513. 鵜飼信成=人事院月報第94号(続き) [49.「人事院月報」拾い読み]

 鵜飼信成の「民主的行政の条件」の後半を掲載する。

  国家公務員法案の批判

 このような批判の根拠としては、およそ次のようなことが考えられよう。まず第一に、この批判は、従来、人事行政の基本を掌握していた内閣の権限に対する評価から出発する。そうして内閣の手から、人事行政の基準設定権を切りはなすことによつて、人事行政の基礎にある一切の派閥的な関係を清算しようとするものである。そのような方式は、一応は、内閣から多かれ少かれ独立した地位をもつ人事行政機関の設置によつて、実現せられるであろう。
 しかしながら、この批判は、これだけをもつては満足しなかつた。それは第二の要素として、新たに独立性を与えられた人事行政機関に対する、別個の民主的コントロールの必要性を主張する。なるほど、内閣から独立した人事行政機関の設置が、内閣による人事行政権の独占に対する重要な改革の意味をもつことは、疑をいれない。けれども、この場合注意しなければならないことは、このようなアメリカ的ないわゆる科学的人事行政が、日本の政治的社会的条件の下でそのままの形で通用することはむずかしい、ということである。いいかえれば、問題は、外国で、一定の時期に、一定の条件の下で、十分な意味をもち、重要なものとして発展した制度が、それとは歴史的条件が異なり、したがつて当面の目標も異なる他の国の制度改革の方式として、無条件で移入されるということの困難さを、どのように理解するかということにある。
 もしこの点について正しい認識が得られるとするなら、少なくとも、戦後日本の制度改革の基本的視覚として、制度の民主化ということのもつている第一義的な重要性が把握されなければならない。そうしてもしそのことが明らかにされるなら、ひとり、新しい人事行政機関の内閣からの独立性だけでなく、それの新しい意味での民主化、したがつて民主的統制方式の設定の重要さが、理解されなければならないであろう。それについてどのような方法をとるにせよ、それが結局において、ある意味において、人事委員会の地位権限の弱化に終ることは自然でなければならない。
 国家公務員法案の上記のような批判者は、この立場から、たとえば、次のような改正を主張した。第一に、人事官は、内閣が両院の同意を得て任命するというのを改めて、国会の指名によつて内閣が任命するものとすること、第二にまた、人事官のうち1名は、とくに公務員全体の中から、その直接秘密選挙によつてえらぶものとし、他の2名は公務員以外のものでなければならないが、その資格要件として掲げられた政党役員でないことなどの点は、これを排除するものとすること、そうして第三に、人事官に対する弾劾の訴追が、原案では内閣総理大臣の権限に留保されているのを、国会の議決がある場合には、内閣総理大臣は、これに基づいて訴追を行わなければならないものとすること、などがそれであつた。
 とくに、原案にない新しい機関として、人事管理委員会の設置を要求したことが注目される。この機関は、委員9名から成り、うち1名は少なくとも婦人とする。委員は、国会議員2名、公務員労働組合代表1名、総理大臣の指名する公務員1名、各界代表5名で、人事行政機関の協力機関として、そこに民意を反映するのに有力な役割を果たすことが期待された。たとえば、人事院規則を制定する場合には、人事院は、この機関の議に付したのち、内閣総理大臣の承認を経なればならない。もし両者の意見が一致しないときは、内閣総理大臣が国会に報告し、その決定にまつものとする、というような制度が要求されるのである。それは、一方では、内閣から独立した人事行政機関を設けることの重要性を認めながら、他方同時に、そのよな独立の機関が、独立であることによつて、かつての統帥権の独立のように、国民の意思をはなれて、勝手な方向に動いて行かないためであつた。

  人事院の意義

 この二つの方向、すなわち同じようにフーバー案を修正し、同じように、人事院の地位権限を弱めようとする、上述の政府案と民間案の間には、実は本質的な差異がある。そして、その外見的な類似にもかかわらず、実はこの本質的な差異の方が重要である。
 政府案は、いわば、内閣と枢密院が全権をにぎつていた旧官僚制への郷愁にねざした思想であつて、したがつて、新しい科学的人事行政の方式、とくに内閣から多かれ少かれ独立した人事行政機関としての人事院の制度に対して懐疑的なのである。人事院の地位権限の弱化はすべてこの見地から企図されたものである。
 これに反して、民間案は、もともと、人事行政に関する内閣の権限について懐疑的なのである。したがつて、基本的には、内閣から独立した機関としての独立の委員会制度については、強い共感を示している。
 ただその独立性は、内閣からの独立性にしか過ぎないので、その外の機関に対しては、ある意味で従属性をもつていることを要求するのである。たとえば、国会との関係でいえば、従来の制度では枢密院の議を経て、勅令の形式で制定せられていた人事行政の基準をなす規範が、新しい制度では、国会の制定する法律でなければならないこととなつたばかりでなく、人事院自身の制定する人事院規則の範囲までも制限して、重要な事項-たとえば職階制、試験、勤務条件等がすべて法律によることを、公務員法自身が明記するとか、人事官の罷免は、基本的には、公開の弾劾手続によつて最高裁判所において行われるものとし、この訴追は、一に国会の権限とすることなどである。その外に、民意によるコントロールの方式として、人事管理委員会の設置が要求されていることは、上に述べた。
 こうしてみると、日本官僚制の近代化のためには、実は、人事院制度の確立、多かれ少かれ内閣から独立し、内閣の掌理する人事行政事務の一般的基礎を確立する機能をおびた、新しい型の人事行政機関の存在こそ、必要不可欠なものであるといわなければならぬ。そうして、そのような人事行政機関として現に与えられている人事院は、旧憲法下におけるような統一的人事行政機構への復帰の要求にもかかわらず、民主的行政の存立の最後の条件として、必ず考慮されなければならぬものではなかろうか。
 (東京大学社会科学研究所教授)


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512. 鵜飼信成=人事院月報第94号 [49.「人事院月報」拾い読み]

 人事院月報第94号(1958年12月発行)には、鵜飼信成が巻頭文を寄せている。鵜飼信成の専門は、憲法、行政法。岩波文庫の『市民政府論』は鵜飼の翻訳。

 民主的行政の条件

  はじがき

 戦後日本の行政改革の中心課題が、官僚制の改革におかれるべきであつたことは、明治以来の日本の行政の性格が、ひとえに日本官僚制の性格によつて規定されていたことからいつて当然であつた。
 行政の改革そのものは、行政組織の面にも、行政作用の面にも、多くの問題をもつており、それらのもろもろの面について適正な改革の方向を発見することが重要な課題であることは不定できないけれども、しかし何よりも根本的な問題は、このような組織を現実に動かし、行政の作用を現実に行つていく人々、すなわち官吏が、一般に官僚意識の名で呼ばれるような意識形成の下に、官僚制と呼ばれるような特有の存在をもつていたという事実で、これをいかに改革するかを考えないでは、行政の民主化はありえないといつてもよかつたのである。
 このことは、戦後の日本の新しい方向づけを指摘すべき地位にあつた連合国軍総司令部の明確に意識していたところである。たとえば、総司令部民政局の報告である「日本政治の新しい方向づけ」(Political Reorientation of Japan,September 1945 to September 1948,Report of Government Section,Supreme Commander for the Allied Powers,1948)によると、「占領の始まる前から、西欧の学者だけでなく、日本の学者によつても、日本官僚制が、国民生活の全体主義的規制のための、主要な道具であることが認められていた」のである。けれども、この方式には、一つの困難な問題点ががある。それは、連合国軍の占領管理が、いわゆる間接管理の方式、すなわち日本の既存の官僚機構を通じてのみ、占領統治を行うという方式を、採用することに決したからである。
 ところでもしもこのように、「占領目的を達成するために、既存の日本政府の機構を利用するということに決まると、それは必然的に、次のような冒険を伴なうといわなければならない。その冒険とは、イデオロギー的に、占領政策に反対の官僚が、行政的なサボタージュによつて、占領政策にはそれを遂行するためおのずから展開される日本の政治指導者のプログラムを無にしてしまうことである」(前掲246頁)。そうしておそらくこのようなサボタージュの中で最も根本的なものは、日本官僚制の改革そのものをサボタージュすることでなければならない。もしこのような事情によつて、行政改革が停滞するようなことになれば、一切の行政改革が、その目的を達しえないことになるであろう。
 科学的人事管理という近代的な原理を、日本の人事行政にとり入れるということがら自体が戦後日本の当面した社会的政治的諸条件の中で、決して単純自明なことでないばかりでなく、その実現の方式がきわめて困難な状況の下におかれていたことが、これでよくわかるのである。
 以下、国家公務員法の制定過程の分析を通じて、この点がどのように展開されたかを具体的に明らかにしてみることにしよう。

  国家公務員法の制定

 国家公務員法の制定が、連合国総司令部占領政策の重要な焦点をなすものであつたことは、上に述べたとおりであるが、それが科学的人事行政の方向を目指すものとすれば、当然そこに人事委員会制度の設置が要求されることは、明らかでなければならない。このことを明確に洞察したものは、昭和22年のはじめに、当時の行政調査部公務員部長、現在の人事院総裁浅井清博士が「ニッポンタイムズ」に公表した一文であつた。
 アメリカ公務員制度顧問団のフーバー氏は、当初からその方向であつたものと想像される。昭和22年6月11日、フーバー顧問団が片山内閣総理大臣に国家公務員法の草案を提示したとき、その内容として示されたものが5点あるが、その第四に「民主的諸国家の近代的人事委員会の長所をとり、さらに進展させた、全国的中央人事行政機関を確立し、その組織・職務・権限・財政・設備につき規定し、またこの機関の永続性を規定した」と述べられている。表現自体はきわめて控え目であるが、そこに公務員制度改革の眼目があつたことは、この人事委委員会制度をめぐつての攻防が、その後の国家公務員法制定の過程における焦点の大きな一点をなしていたことに示されている。
 政府は、同年8月30日の第1国会に、このフーバー案に基づく国家公務員法案を提出したが、その中で、フーバー案はかなりの程度まで修正をうけていた。修正された点は種々あるが、とくに興味をひくのは、上に述べたフーバー構想に基づく人事院の地位が、かなり弱められたことである。すなわち、その権限の特色をなしていた(a)独立の規則制定権は、内閣総理大臣の承認を経て制定することに改められ、(b)その決定処分は、裁判所による審査を受けない、という規定は削除され、(c)その予算は、自ら作成し、原則として内閣によつて修正されない、という規定も削除された。
 ではいったいフーバー案は、何故に、このような修正をこうむつたのであろうか。いいかえれば、法案作成の任に当つた日本政府は、何故に、人事院の地位を弱めるような修正を加えたのであろうか。その理由を明らかにすることは、かならすしも容易ではない。けれども」上に挙げた総司令部報告書の述べているような考察の入る余地が十分にあることは否定できないであろう。
 そしてもしそれが正しいとすれば、人事院の地位を弱めることによつて、人事行政の改革が効果的に行われることを阻止しようとする意思が、明示的にか、暗黙のうちにか、そこに示されていることは見逃すことのできない事実である。
 しかしこの場合、政府の示した方向と、外見的に同じ方向をとろうとする論者が、別の方面にいたことを忘れてはならない。それは民間の公務員制度改革論者である。これらの改革論者(たとえば公法研究会。その意見は当時「法律時報」および東大の「大学新聞」に発表された)は、これとは全く違つた立場から、全く違つた意図をもつて、政府の国家公務員法案を批判した。そうしてその批判は、その背後にあるフーバー構想にも及び、人事院の地位に関する法案の規定に対しても、フーバー案に対しても、同じ批判を加えたのである。批判の結論は、人事院の地位権限を、政府案におけるよりもさらに一層弱体化しようということであつた。
 では、これら民間の批判者たちの、批判の意図と根拠とは、いつたいどこにあつたのであろうか。
(続く)


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511. 藻利重隆=人事院月報第87号(続き) [49.「人事院月報」拾い読み]

 前回に引き続き、藻利重隆「テイラアの精神革命論と人間関係論」(人事院月報1958年5月号)。

 ・・4・・
 われわれは、科学的管理の本質をなすものとして提唱せられる精神革命論の意義を、その広狭いずれの意味においても、否定せざるをえないこととなつた。それではテイラアの精神革命論はなんらの意味をももちえないものであろか。けつしてそうではない。けだし、テイラアが精神革命の内容として意識的に陳述するとことは広狭二種の精神革命につくされているようである。また、その重要性の提唱も意識的にはこれを科学的管理の本質と解することにつくされているようである。ところが、このような陳述によつてテイラアがつくしえなかつた真意は、かえつて別のところにあるように思われる。そして、われわれはこれを、科学的管理の導入を容易にし、またそれを成功させるための必要条件をなすものだと解することにもとめることが出来る。つまり、科学的管理の導入体制を労資双方について形成するところに、テイラアの主張する「精神革命」の真意があつたものと解するわけである。科学的管理の導入には相当の期間を必要とするのであつて、短期間のうちにこれを実現するときは、成功はおぼつかない、とするテイラアの主張の意味をわれわれは正しく理解しなければならない。それは、管理制度の「変更」(change)に関して「変更の速度」(rate of change)の問題を取りあげ、「精神革命」とよばれる精神的な導入態勢の形成について配慮することの必要を説くとともに、そのために要する時期に留意するべきことを強調しているわけである。テイラアは科学的管理が労働者のあらゆる反対にもかかわらず進展するべき歴史的必然性をもつことをのべているのであるが、しかしこのことは、労働者の反対を緩和し、これを克服するための努力が無用であることを意味しないのみならず、かえつて、科学的管理の円滑な導入をはかるために、こうした努力が必要であることを意味しているものと解しなければならない。そして、これに答えようとするものこそが、まさにテイラアのいわゆる「精神革命」の真意をなすのであり、したがつて、精神革命は科学的管理の導入に対する促進条件をなすものと解せざるをえないのである。ところが、このような促進条件の整備は、ひとり科学的管理の導入に関してのみ要請せられるものではなくて、あらゆる「変更」の導入に関して要請せられる。テイラアの言をもつてすれば「・・科学的管理導入の歴史のみならず、労働節約機械導入の歴史もまた、どのような産業においても急激な変更をなすことは不可能であることを示している」のである。ところで、こうした問題こそは昨今いわゆる「人間関係論」の名において論ぜられている問題であることを注意しなければならない。けだし、人間関係論ないし人間関係論的人事管理こそは、「変更」の導入に際して配慮せられるべき「変更の速度」の問題をその中心問題として取りあげるものだからである。ところで、この「変更の速度」を規定するものをテイラアは「精神」ないし「精神的態度」の変更に要する時間にもとめているのであるが、人間関係論はこれを「心情」ないし「行動の型」の変更に要する時間にもとめているのである。
 ただ、人間関係論的人事管理がこれまで労働者の心情の問題を中心的に取りあげて、管理者の心情の問題を等閑に付し、これをほとんど取りあげていないのに反して、テイラアの精神革命論においては、管理者の問題がとくに重視せられていることは、これを看過しえないであろう。テイラアによれば、改善その他の変更の導入に関して発現する紛争の十分の九は管理者側から発生し、わずかに十分の一が労働者側から発生するにすぎない。すなわち管理者の側における「精神革命」の完成が、科学的管理の導入その他の改善にとつてきわめて重要であることを提唱するのがテイラアにほかならない。管理者ないし経営者の「頭の切替え」の必要が強調せられ、経営者教育の緊要性が論ぜられている今日、テイラアの精神革命論の意義はけつして軽視せられえないであろう。

 ・・5・・
 「テイラア証言」におけるテイラアの陳述は、必ずしも一貫性を有しないのみならず、さらにそこには多くの矛盾が見出される。そこに強調せられる「精神革命」ももとよりこの例外をなすものではない。それが「労資協調主義の完成」として理解せられるかぎり、精神革命は科学的管理とは無関係であり、またそれが抽象的な「科学主義の完成」のみを意味するならば、それは科学的管理の前提条件とはなりえても科学的管理の本質を形成することにはならない。けれどもこのことはテイラアにおける精神革命論が無意味であることを意味しない。けだし、テイラアの精神革命論には「変更」の導入に関してその精神的受入態勢を形成することとしての別の意義が見出されるのであるが、ここにこそわれわれは、今日の人間関係論が取りあげている「変更の速度」の克服に関する先駆的問題提起を見出すことが出来るからである。それはひとり科学的管理のみならず、あらゆる能率増進上の諸方策の実施に関して、これを円滑化し、さらに効果的なものにするための人間的条件の形成を問題とするものにほかならない。われわれは「精神革命論」の名において今日の人間関係論的問題点を看破し、高唱したテイラアの卓見に深く経緯を表せざるをえないのである。

 著者《もうり しげたか》一橋大学教授 経営学専攻

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510. 藻利重隆=人事院月報第87号 [49.「人事院月報」拾い読み]

 人事院月報の1958年5月号(第87号)は、巻頭に藻利重隆の論評を掲載している。藻利重隆は、労務管理が専門の経営学者で一橋大学名誉教授。

 テイラアの精神革命論と人間関係論

 ・・1・・
 アメリカにおいて「科学的管理」が広く一般の関心をあつめるようになつたのは1910年のいわゆる「東武鉄道運賃事件」(the Eastern Railway Rate Case)以後のことであるが、こうした事態は労働組合の科学的管理に対する懐疑的態度を刺激することとなり、1911年には、ついに労働組合の科学的管理排撃運動の展開を見るようになる。そして、それはやがてアメリカ議会の黙視しえないものとなり、1911年8月にはこれに対処するための特別委員会が議会に設置せられた。「テイラア・システムおよびその他の工場管理制度の調査に関する下院特別委員会」(the Special Committee of the House of Representatives to Investigate the Taylor and Other Systems of Shop Management)がすなわちそれである。この委員会の調査が「テイラア・システム」ないし「科学的管理」を対象とするものであつたことはいうまでもないが、そのために1912年の1月25日、26日、27日および30日の4日間にわたつてテイラア(F.W.Taylor,1856-1915)自身がその聴聞会に召喚せられている。テイラアはそこで彼の提唱する「科学的管理」がどのような性質のものであるかについて証言をもとめられたわけである。この聴聞会におけるテイラアの証言の内容は後に「テイラア証言」(Taylor's Testimony Before the Special House Committee)として公刊せられているのであるが、この証言においてテイラアが、科学的管理にとつてもつとも重要なものとして提唱しているものこそは、「精神革命」(Mental revolution)にほかならない。そこでわれわれはこのテイラアの精神革命論の意味するところを「テイラア証言」にもとづいて検討してきることとしたいのである。

 ・・2・・
 「テイラア証言」におけるテイラアの主張の中心が「精神革命」に見出されることは、否定しえない事実をなすのであるが、しかも、その意味するところは必ずしも明確ではない。テイラアの陳述はきわめて曖昧であるのみならず、さらに、しばしば矛盾するものを含んでいるのである。テイラアの精神革命論を究明するためにはわれわれは第一に精神革命の内容を問題としなければならない。と同時にわれわれはさらに第二にこの精神革命と科学的管理との関係を明らかにしなければならないのである。まず第一の問題から考察していくこととしよう。
 テイラアが精神革命の内容として陳述しているものは必ずしも一貫していない。これにはまず二様の見解が区別せられなければならない。その第一は労使双方の側における精神的態度が労使敵対主義から労使協調主義へと変革せられることを精神革命であると解するものである。これに対して、第二の見解は、労使双方の精神的態度について二つの変革が完成せられるところに精神革命の成立を理解する。そして、ここにいう二つの変革とは労使敵対主義より労使協調主義への精神的態度の変革と、伝習主義より科学主義への精神的態度の変革との二つを指すのである。われわれはここでは第一の見解を「狭義の精神革命」とよび、これに対して第二の見解を「広義の精神革命」とよぶこととしよう。精神革命の意味に関してテイラアが意識的に展開するものは、この二種の見解につくされているようである。
 ところで、テイラアはこのような精神革命が科学的管理にとつてもつとも重要なものであることを主張するのであるが、その意味するところは、精神革命が科学的管理の本質(essence)をなすということにある。それでは精神革命が科学的管理の本質をなすということは、そもそもどういうことを意味するのであろうか。けだし、このことに関するテイラアの陳述ほど思想的混乱を来たしているものはないように思われる。そこには諸種の見解がのべられている。第一には精神革命の達成を目的とするところに科学的管理の本質的意義があるとする見解がみうけられる。そしてこの場合の精神革命は狭義のそれであることを注意しておかなければならない。テイラアは科学的管理の「機構」とその「本質」とを区別する。科学的管理そのものはテイラアにおいては「善」としての「本質」を備えているものと解せられているのであるが、科学的管理の「機構」は「善」のためにも「悪」のためにも使用せられうるエンジンであつて、こうした「機構」のうちには「善」としての科学的管理の本質は把握せられえないと解するのがテイラアである。そして、ここにいわゆる「善」が労使の共栄であることはいうまでもない。つまり、科学的管理の本質はその目的としての精神革命と、したがつて労使協調主義の実現による労使の共栄にあるのであつて、そのための手段としての管理の機構のうちにはこれを見出すことは出来ないと解するわけである。ところが、この解釈をとるときは、科学主義の実現は科学的管理の本質とは無関係となり、科学的管理は無内容な労使協調主義の実現という抽象的な精神革命論なりおわらざるをえない。けだし、科学主義の実現は、科学的管理の「本質」から区別せられたその「機構」に関して要請せられているものであり、テイラアのいわゆるエンジンに関して問題となるものにほかならないからである。そして、テイラアが「科学的管理の諸原則」として論述するところもまた科学的管理の本質とは無関係なものとならざるをえないであろう。

 ・・3・・
 精神革命が科学的管理の本質をなすということの意味に関するテイラアの第二の見解は、精神革命の完成を前提条件としてはじめて実施することの出来るものが科学的管理であるとする解釈に見出される。そして、この場合の精神革命は広義のそれであることを注意しておかなければならない。テイラアはある会社に科学的管理が実施せられているかどうかを判定するためには、第一に広義の精神革命が労使双方の側に成立しているかどうかを判定しなければならないということをのべているのであるが、その意味するところは、まさに広義の精神革命が科学的管理の実施に必要とせられる前提条件をなすことにあるものと解せざるをえないであろう。だが、もしも精神革命の完成がたんに科学的管理を実施するための前提条件をなすにすぎないとするならば、これを前提として実施せられる科学的管理そのものの本質は、精神革命のほかに別個に見出されなければならないこととなるはずである。科学的管理のための前提条件をなすことのゆえに精神革命は科学的管理の本質をなすという主張は、理論的には困難であると解せざるをえないわけである。
 ところが、テイラアは他方において科学的管理に関して、あたかも産業革命の初期において機械破壊運動による労働者の強烈な抵抗があったにもかかわらず機械生産が発展して来たのと同様に、科学的管理もまた歴史的必然性をもつて発展するものであることを強調する。つまり、科学的管理は労働者のあらゆる反対にもかかわらず進展するべき必然性をもつ労働節約策の一つであると解せられているのである。したがつて、科学的管理はけつして労使協調主義の完成ないし狭義の精神革命の成立をその必然的な前提条件とするものではないのみならず、さらにそれはこうした精神革命の完成をその目的とするものでもなくて、まさに労働節約策の一種として実施せられるものであることが強調せられているわけである。
 けだし、科学的管理が無内容な精神革命論に堕することを回避するためには、狭義の精神革命を目的とするということのうちに科学的管理の本質をもとめることは出来ないであろう。また、たとえ広義の精神革命が科学的管理の前提条件をなすということが承認せられうるとしても、こうした前提条件のうちに科学的管理の本質をもとめることはついに不可能であろう。このようにしてわれわれは、精神革命をもつて科学的管理の本質だとするテイラアの主張はついにこれを承認しえないこととなる。「科学的管理の機構」と「科学的管理の本質」とを区別することは必要であろう。そのかぎりにおいてはわれわれはテイラアの主張を肯定することが出来る。だが、科学的管理の本質は、テイラアの主張するように、その機構とは無関係なものだと解するわけにはゆかない。われわれはかえつて科学的管理の機構の全体を貫き、これを支えるものとして、機構のうちに内在する統一的原理をこそ、科学的管理の本質として把握しなければならない。そうだとすれば、科学的管理が労働節約策の一種をなすものであるということはついにこれを否定しえないのである。労働節約策としての科学的管理の機構をはなれて、これとは無関係に科学的管理の本質を求めようとするテイラアの見解は、ついに承認することが出来ないわけである。
(続く)


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509. 東京都の非常勤講師の報酬 [47.「コマ給」をどう捉えるか]

 「「コマ給」をどう捉えるか」のテーマで、ずいぶん前に東京都の非常勤講師の報酬単価が経験年数別に示されていることを取り上げた。(406.「コマ給」をどう捉えるか(続き))
 最近になって、久しぶりに『自治体の新臨時・非常勤職員の身分取扱』(地方公務員任用制度研究会編著、学陽書房、2001年)を見ていると、東京都の非常勤講師の報酬に関する記述が掲載されていることに気がついた。手元にあるのが2001年版なので、最新版は確認していないが…。抜粋しておきたい。

ウ 都立学校等に勤務する非常勤講師
  都立学校及び区市町村立学校に勤務する非常勤講師には、基礎報酬(正規任用の通常勤務職員の給料に相当する第1種基礎報酬と通勤手当に相当する第2種基礎報酬)が、非常勤講師のうち、一定の要件を満たした準常勤講師には、基礎報酬の外に、付加報酬(期末手当・勤勉手当に相当する報酬)が支給される。第2種基礎報酬と付加報酬については、諸手当の項で取り上げることとし、ここでは、第1種基礎報酬について述べる。
 基礎報酬については、「都立学校等に勤務する講師の報酬等に関する条例」で、「時間を単位とし、その額は、非常勤職員の報酬及び費用弁償に関する条例第2条に定める額を超えない範囲内において定めるものとする。」と規定し、報酬の額、支給方法等については、教育委員会規則に委ねている。条例で定める報酬額の上限は、教育業務に従事する者の月額を502,000円としている。
 具体的な額については、経験年数に応じた1時間当たりの報酬額を決定し(次頁の表)、この単価を基礎に、1週間当たりの勤務すべき時間数から算出することとしている。
 すなわち、
 報酬額=1時間当たりの報酬額×1週間当たりの勤務すべき時間数×52週÷12月-1時間当たりの報酬額×土曜日1日当たりの勤務すべき勤務時間数×2)
という式によって算定される。
 1時間当たりの報酬額は、従来、正規教員の給料を基準とした方式(正規教員に適用される級別資格基準により経験年数に応じて決定される級号給に相当する額を基礎に、調整手当、割増率を考慮に入れて算定)であったが、平成4年4月1日から、人事委員会の平均給与改定率によるとともに、改定された報酬額は、正規教員の給与改定時まで遡及して適用される方式に改められた。
 平成12年度現在、経験年数を13区分とし、それぞれの区分に応じた単価を表(上図)のとおりとしている。

 平成12年度 都立学校等に勤務する講師の1時間当たりの報酬額
(小・中・高・盲・ろう・養護学校に勤務する講師(通信制を除く)の場合)
 経験区分 経験年数等    時間額
  1   1年未満     1,990円
  2   1年以上2年未満 2,060円
  3   2年以上3年未満 2,140円
  4   3年以上4年未満 2,220円
  5   4年以上5年未満 2,290円
  6   5年以上6年未満 2,360円
  7   6年以上7年未満 2,440円
  8   7年以上8年未満 2,530円
  9   8年以上9年未満 2,620円
  10   9年以上10年未満 2,720円
  11   10年以上11年未満 2,810円
  12   11年以上12年未満 2,930円
  13   12年以上     3,020円  (185~186頁)


 昔は正規教員の給料を基準に算定されていた、つまり均衡処遇の考え方を採用した上で割増率が導入されていたようだが、平成4年以降その考え方が崩れたと書かれている。
 さて、令和2年4月から会計年度任用職員制度が導入されたが、どうなっているのであろうか。平成元年に改正された改正後の条例・規則を確認する。

<改正前>
○都立学校等に勤務する講師の報酬等に関する条例<改正前>
(報酬の額等)
第六条 時間講師には、基礎報酬を支給する。
2 準常勤講師には、前項の基礎報酬のほか、付加報酬を支給する。
3 前二項に規定する基礎報酬及び付加報酬は、第四条第一項に規定する勤務時間を基準とし、次の各号に定めるところによる。
一 基礎報酬 時間を単位とし、その額は、非常勤職員の報酬及び費用弁償に関する条例(昭和三十一年東京都条例第五十六号)第二条に定める額を超えない範囲内において定めるものとする。
二 付加報酬 学校職員の給与に関する条例(昭和三十一年東京都条例第六十八号)第二十四条及び第二十四条の二の規定に準じて定めるものとする。
4 前項に規定する報酬の支給額、支給方法その他必要な事項は、教育委員会規則で定める。

○非常勤職員の報酬及び費用弁償に関する条例<改正前>
(報酬の額)
第二条 職員に対する報酬の額は、日額、月額又は時間額で定めるものとし、別表一に定める職員の種別に対応する額をこえない範囲内において、別表二に定める勤務態様に対応した支給単位により、任命権者が定めるものとする。ただし、(略)
別表一(第二条関係)
 職員の種別\額の種別 日額(円)   月額(円)    時間額(円)
 教育業務に従事する者 二三、八〇〇 四七八、〇〇〇 八、一〇〇


<改正後>
○都立学校等に勤務する講師の報酬等に関する条例(昭和四九年条例第三〇号)
(勤務時間等)
第四条 時間講師の勤務時間は、次に掲げる時間とする。
 一 教科の授業に要する時間
 二 東京都教育委員会(以下「教育委員会」という。)が定める授業の実施に付随する業務に要する時間
 三 教育委員会が定める基準により研修の命令を受けた時間
2 勤務時間の割振りについては、東京都人事委員会(以下「人事委員会」という。)の承認を得て東京都教育委員会規則(以下「教育委員会規則」という。)で定める。
  (平一九条例一三四・平三〇条例一二三・令元条例三六・一部改正)
(報酬の額等)
第六条 時間講師には、時間を単位とし、非常勤職員の報酬、費用弁償及び期末手当に関する条例(昭和三十一年東京都条例第五十六号)第二条に定める額を超えない範囲内において、人事委員会の承認を得て教育委員会規則で定める額の報酬を支給する。
2 前項に規定するもののほか、報酬の支給方法その他必要な事項は、人事委員会の承認を得て教育委員会規則で定める。
  (平一九条例一三四・令元条例三六・一部改正)

○非常勤職員の報酬、費用弁償及び期末手当に関する条例(昭和三一年条例第五六号)
〔非常勤職員の報酬及び費用弁償に関する条例〕を公布する。
(報酬の額)
第二条 職員に対する報酬の額は、日額、月額又は時間額で定めるものとし、別表一に定める職員の種別に対応する額をこえない範囲内において、別表二に定める勤務態様に対応した支給単位により、任命権者が定めるものとする。ただし、月額で定める場合には、任命権者は、あらかじめ知事に協議するものとする。
2 前項の規定にかかわらず、職務の性質上これによりがたい職にある者の報酬の額は、任命権者があらかじめ知事と協議して定める額とする。
3 前二項により報酬の額を定める場合には、職員の職務の複雑性、困難性、特殊性及び責任の軽重に応じ、かつ、常勤職員の給与との権衡を考慮してしなければならない。
4 前三項に規定するもののほか、報酬の額に関し必要な事項は、東京都規則で定める。この場合において、法第二十二条の二第一項第一号に掲げる職員(以下「会計年度任用職員」という。)に関する事項を定めるときは、人事委員会の承認を得るものとする。
(昭四八条例一六・全改、平二六条例一四一・平三〇条例一〇七・一部改正)
別表一(第二条関係)
 職員の種別\額の種別 日額(円)   月額(円)    時間額(円)
 教育業務に従事する者 二三、八〇〇 四七八、〇〇〇 八、一〇〇

○都立学校等に勤務する時間講師に関する規則(昭和四九年教育委員会規則第二四号)
(勤務時間)
第十四条 条例第四条第一項の勤務時間は、一週間を単位として二十六時間を超えない範囲内で定める。
2 前項の規定にかかわらず、教育委員会が特に必要と認める場合は、前項に規定する勤務時間を越えて勤務時間を定めることができる。
3 第一項に規定する時間講師の勤務時間の一単位時間は、六十分とする。
  (平一九教委規則五九・令元教委規則一〇・一部改正)
(報酬)
第二十二条 条例第六条に規定する報酬は次のとおりとする。
 一 第一種報酬 時間講師の教育職員としての識見及び経験等を基準として、別表第三に定める区分による額
 二 第二種報酬 学校職員の給与に関する条例(昭和三十一年東京都条例第六十八号。以下「給与条例」という。)第十四条に規定する通勤手当に相当する額であつて、時間講師の通勤の実情等を勘案して、同条の例により算出した額
2 前項第一号に掲げる別表第三に定める区分による額は、常勤職員の給与との権衡を考慮し、前年度の時間額を基準として、各年度の四月一日に見直すものとする。
  (令元教委規則一〇・全改)
別表第三(第二十二条関係)
  (令元教委規則一〇・全改)
 教育職員としての経験年数等  時間額(円) 
 経験区分 経験年数
  一   一年未満        一、八八〇
  二   一年以上二年未満    一、九五〇
  三   二年以上三年未満    二、〇二〇
  四   三年以上四年未満    二、〇九〇
  五   四年以上五年未満    二、一六〇
  六   五年以上六年未満    二、二三〇
  七   六年以上七年未満    二、三一〇
  八   七年以上八年未満    二、四〇〇
  九   八年以上九年未満    二、四九〇
  十   九年以上十年未満    二、五八〇
  十一  十年以上十一年未満   二、六六〇
  十二  十一年以上十二年未満  二、七八〇
  十三  十二年以上十三年未満  二、八六〇
  十四  十三年以上十四年未満  二、九六〇
  十五  十四年以上十五年未満  三、〇五〇
  十六  十五年以上十六年未満  三、一五〇
  十七  十六年以上十七年未満  三、二五〇
  十八  十七年以上       三、三五〇


 さて、ここで会計年度任用職員制度導入後の東京都の非常勤講師の報酬額と常勤講師(1級)の給料月額+地域手当20%=基礎額との比較を確認しておこう。「時間講師の勤務時間の一単位時間は、六十分」されているので、単純に比較する。区分1に対応する号給を1号給とすべきか、大卒基準の21号給とすべきか迷うが、ここでは大卒基準の21号給によった。
 非常勤講師の報酬単価は、基礎額の1.4倍から1.65倍になっている。常勤講師の給与額に単純に比例している訳ではない。しかも、最高号給の基礎額よりも高い水準であるから、勤務時間との関係の均衡が確保されていないことになると思われる。

(東京都の非常勤講師の報酬額:対常勤講師1級)
 区分 経験年数     報酬額 対時給 号給 給料月額 基礎額 時給
 1  1年未満      1,880 1.41  21 187,000 224,400 1,336
 2  1年以上2年未満  1,950 1.42  25 192,200 230,640 1,374
 3  2年以上3年未満  2,020 1.43  29 197,400 236,880 1,411
 4  3年以上4年未満  2,090 1.44  33 202,700 243,240 1,449
 5  4年以上5年未満  2,160 1.45  37 208,600 250,320 1,491
 6  5年以上6年未満  2,230 1.45  41 214,700 257,640 1,534
 7  6年以上7年未満  2,310 1.46  45 221,700 266,040 1,584
 8  7年以上8年未満  2,400 1.47  49 228,100 273,720 1,630
 9  8年以上9年未満  2,490 1.49  53 234,500 281,400 1,676
 10 9年以上10年未満  2,580 1.50  57 240,700 288,840 1,720
 11 10年以上11年未満 2,660 1.51  61 246,600 295,920 1,762
 12 11年以上12年未満 2,780 1.54  65 252,200 302,640 1,802
 13 12年以上13年未満 2,860 1.55  69 257,800 309,360 1,842
 14 13年以上14年未満 2,960 1.57  73 263,300 315,960 1,882
 15 14年以上15年未満 3,050 1.59  77 268,600 322,320 1,920
 16 15年以上16年未満 3,150 1.61  81 273,800 328,560 1,957
 17 16年以上17年未満 3,250 1.63  85 278,800 334,560 1,992
 18 17年以上     3,350 1.65  89 283,600 340,320 2,027
 -  (最高号給)   3,350 1.44  169 326,000 391,200 2,330


 ちなみに、正規職員である教諭(2級)の基礎額とも比較しておく。
 こうして見ると、非常勤講師の報酬単価は、正規教員である教諭の時給よりも高く、1.3倍から1.39倍になっている。常勤講師と比較した場合と比べると、むしろ教諭の給与カーブを基礎にしているようにも思える。
 しかも、2級の最高号給の基礎額よりも高い。3級の最高号給の基礎額よりも高い。さて、東京都教育委員会の担当者に聞いてみないとわからない…。

(東京都の非常勤講師の報酬額:対教諭2級)
 区分 経験年数     報酬額 対時給 号給 給料月額 基礎額 時給
 1  1年未満      1,880 1.33   9 197,300 236,760 1,410
 2  1年以上2年未満  1,950 1.33  13 205,800 246,960 1,471
 3  2年以上3年未満  2,020 1.32  17 214,300 257,160 1,531
 4  3年以上4年未満  2,090 1.31  21 223,500 268,200 1,597
 5  4年以上5年未満  2,160 1.30  25 232,100 278,520 1,659
 6  5年以上6年未満  2,230 1.30  29 240,700 288,840 1,720
 7  6年以上7年未満  2,310 1.30  33 249,200 299,040 1,781
 8  7年以上8年未満  2,400 1.30  37 257,700 309,240 1,842
 9  8年以上9年未満  2,490 1.31  41 266,200 319,440 1,902
 10 9年以上10年未満  2,580 1.31  45 274,700 329,640 1,963
 11 10年以上11年未満 2,660 1.31  49 283,100 339,720 2,023
 12 11年以上12年未満 2,780 1.33  53 291,500 349,800 2,083
 13 12年以上13年未満 2,860 1.33  57 299,900 359,880 2,143
 14 13年以上14年未満 2,960 1.35  61 307,900 369,480 2,200
 15 14年以上15年未満 3,050 1.35  65 315,700 378,840 2,256
 16 15年以上16年未満 3,150 1.36  69 323,200 387,840 2,310
 17 16年以上17年未満 3,250 1.38  73 330,100 396,120 2,359
 18 17年以上     3,350 1.39  77 336,800 404,160 2,407
 -  (最高号給)   3,355 1.22  177 386,300 463,560 2,761


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508. 教員給与は適正に優遇されているのか [8.トピック]

 自治総研2020年3月号(通巻497号)に上林陽治氏の「教員給与は適正に優遇されているのか-教員の働き方改革の論じ方-」が掲載されている。

 上林氏の問題意識は、次の記述に集約されている。
 「そうすると今次改正給特法、とりわけ教職調整額を批評する観点としては、時間外労働・休日労働の不払いや労働時間規制の在り方の問題もあるが(9)、教職調整額をはじめとする給与水準調整の仕組みが、教員の働き方から見て、一般行政職員の給与との水準調整・優遇措置という機能を本当に果たしているのかということもあわせて検証しなければならない。/本稿の問題意識はここにある。」

 氏は、まず「1.教職調整額をはじめとする給与上の今日委員優遇措置の経緯」を論じていく。戦後の教員給与と超勤問題からスタートし、給特法の成立過程や人材確保法の成立過程を説明する。

 続いて「2.目減りする一般行政職との給与水準差の経過」を論じる。教職調整額の制度化と人確法制定によって教員の給与水準は一気に優遇されるものとなったのだが、その水準調整・優遇措置が維持されているかというと結論は「ノン」だと指摘する。氏は、「水準調整・優遇措置が解消してしまったなかで、時間外労働・休日労働が不払いになっていることが、問題なのである。」と主張し、「以下、この経過を、地方公務員給与実態調査から作成した表1の「都道府県の一般行政職・小中学校教員における月例給・年収額の推移(学歴計・男女計)」に沿って、検証していく。」と述べて論を進める。

 まず、月例給与水準と年収水準を検証する。ざっくり引用する。
 「この水準差(都道府県負担の小中学校教育職の給与の都道府県の一般行政職の給与に対する水準差=編注)は、3次にわたる計画的改善(1973~1978年度)が終了する1978年段階では、月例給、年収とも115に落ち着く。(略)、2018年には、平均年齢がほぼ一致しているにもかかわらず、月例給の水準差(C)が101、年収の水準差(F)が103と、教職調整額による4%優遇さえも下回ってしまった。」

 なぜ、このように水準差は縮小してきたのか。氏は、2000年代に入ってから、教員給与の引き下げ圧力が強まったことを指摘する。2006年5月成立のいわゆる行革推進法による教員給与の一律優遇の見直しの動きの中で、人確法優遇分430億円の減額が目指されることとなり、「教員給与の優遇性は解職していく。」と述べる。

 続いて、主要な給与項目ごとに推移を確認していく。まず、給料月額についてラスパイレス比較を行って検証する。
 氏は、「上記(ラスパイレス比較=編注)の手法により求められる小中学校教員と一般行政職員の給料月額の水準差は、計画的改善が終了する1978年時点において、都道府県一般行政職員の給料月額(学歴計・男女計)を100とすると、都道府県小中学校教員の給料月額(学歴計・男女計)は120.1で、給料月額だけで、この時点で約20ポイントの水準差が設けられたことがわかる。/ところが2018年になると、指数は、113.5となり、1948年当時の水準差に縮小してしまう。」と指摘する。
 そして、「水準差が縮小した背景には、1990年以降の給与制度改革の影響が作用している。/たとえば、1991年には、昇格制度の改善がなされ、昇格時の給料の引き上げ額が高まった結果、昇格機会の多い行政職給料表適用者には有利に、少ない級しか持たない教育職給料表適用者には不利なものと作用することとなった。」と説明する。

 次に、教職調整額の推移を確認する。氏は、「当時の教職調整額は2,974円と推定(給料月額×0.04%で計算)される。これに対し、一般行政職の時間外手当額は5,079円で、教職調整額は一般行政職の時間外手当の58.5%の水準にしか過ぎず、この時点ですでに見劣りしている(表3参照)。/1976年には85.5%水準まで接近するものの、その後一貫して今日まで、教職調整額と一般行政職の時間外手当額との差は拡大し、直近の調査(2018年)では、43.9%の水準まで落ち込んでいる。」と指摘する。ただ、分析で推定した計算方式は4%を前提としており、跳ね返りを考慮していない。実力6%といわれる水準で比較した方がよいのかもしれないが、いずれにせよ目減りしているのは事実であろう。
 次に、義教手当が「3分の1まで縮小している」ことを確認している。

 最後に「おわりに」で、氏は、「教員の働き方改革で問題にすべきは、長時間労働の規制だけでなく、ましてや時間外手当等を不払いにしている給特法の見直しばかりでなく、より全般的な教員の働き方に応じた処遇の在り方そのものである。」と主張する。
 その前提として、氏は次のように教員給与の優遇性の解消経過をまとめ、指摘する。
 「義務教育教員の給与水準は、1970年代中葉までは、人確法が制定されるなどにより、それなりに処遇は改善されていたが、1990年代の昇格制度改善のメリットは給料表の構造からうけられず、また2008年以降の教員給与の見直し策により、一般行政職員の給与との比較において、月例給・年収とも、その優遇性は解消している。/したがって、「教員給与は一般行政職員よりも優遇されている」との主張に根拠はない。」と。


 以上のとおり、上林氏は、教員給与の優遇性の解消の理由について、①昇格改善メリットを受けられない給料表構造、②教員給与の見直し策の2つを挙げている。しかし、このノートで学習してきた観点からすると、①を理由に挙げることには少し疑問が残る。

 平成4年から4年かけて実施された昇格改善は、いわゆる1号上位昇格制度の導入であり、俸給表の構造上、職務の級の数が多い方がメリットが累積することになる。しかし、職務の級の少ない旧教育職俸給表(二)(三)は、3号俸のカットが実施されるとともに、行政職(一)の在職者調整見合いの厚めの俸給表改定が実施されたのであった。人確法に基づく優遇措置のベースとなる旧教育職(三)については、旧行政職(一)の2級から7級までブリッジしているのだが、そうすると、1号上位昇格制度の導入された旧行政職(一)4級(係長)以上では、7級までの昇格4回分のメリットが付与されるのだが、一方、旧教育職(三)については昇格3回分に相当する3号俸のカットに加え、4年間の厚めの改定による概ね1号俸分により、制度上は均衡が分かられている。ただ、旧行政職(一)の改善効果が比較的早いのに対して、旧教育職(三)では未だに3号俸カットすべてのメリットを享受できていない層が50歳台に存在している。また、旧行政職(一)の8級以上のメリットが4回分もあり、旧教育職(三)は3級・4級への昇格2回分を踏まえても構造上見劣りすることは否定はできない。しかし、それほど大きな要素だったのであろうか。

 ここで上林氏作成の表1「都道府県の一般行政職・小中学校教員における月例給・年収額の推移(学歴計・男女計)」をもう一度よく見てみる。1990年の数値を見ると、給与月額の水準差102、年収の水準差103に対して、1995年の数値はそれぞれ101、102に1ポイント下がるに留まっており、2000年の数値はそれぞれ103、104と逆に1ポイント上がる結果となっている。
 一方、この表1でポイントが一番大きく下がっているのは、給与月額の水準差で見ると1980年の112から1985年の105の▲7ポイント、年収の水準差も1980年の114から1985年の106の▲8ポイントである。1985年(昭和60年)、8等級制が11級制に改められたのだが、実施は7月1日であった。すると調査時点は4月1日だからその効果が表れるのは昭和61年となると考えられる。何があったのか…。

 表2「都道府県一般行政職と小中学校教員の給料月額比較(1978年・2018年)」が1978年と2018年だけで、表1と同じ年刻みないし5年刻みでないのが大変残念である。


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